第18回サイファイフォーラムFPSS
日時: 2026年11月14日(土)13:00~17:00
会場: 日仏会館 509会議室
東京都渋谷区恵比寿三丁目9番25号
会費: 一般 1,500円、学生 500円(飲み物は各自ご持参ください)
参加を希望される方は、以下まで連絡をいただければ幸いです
連絡先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com)
よろしくお願いいたします
プログラム
(1)13:00-14:00 矢倉英隆
シリーズ「科学と哲学」⑫ アリストテレス(1)
今回から、西欧の科学と哲学の体系を作り上げたと言われるアリストテレス(384–322 BCE)の世界について検討することにいたしました。初回は、アリストテレスの人生を振り返りながら、彼の科学と哲学がどのように発展していったのか、その過程でどのような思想を成熟させていったのかを中心に見る予定です。
(2)15:00—16:20 後藤佐和子
山脇東洋における人体への眼差し
山脇東洋(1706〜1762)は、本邦で初めて官許の人体解剖(観臓)を行った人物として知られる。東洋以前の本邦医学において、人体認識の基盤となっていたのは主として漢医書であり、「五臓六腑説」や「九藏説」などの身体観も、古典の記述を通じて理解されていた。一方で、十七世紀以降には西洋外科術とともに解剖学的知識が流入し、『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』や『紅夷外科宗伝』といった西洋医学をもとにした解剖学書も出版されていた。
こうした状況の中で東洋は観臓を実施した。先行研究では、その動機として、①古方派と後世派との対立の中で真理を求めた、②中国医学の臓腑説と蘭方解剖学との差異を検証しようとした、③『周礼』に記された九藏説の正統性を実証しようとした、などが指摘されている。
東洋は、名古屋玄医・後藤艮山ら古方派医学の強い影響下にあり、また荻生徂徠にも私淑していた。古方派および徂徠学に共通する特徴は、後代の注釈や観念的理解を退け、原典や事実そのものへ立ち返ろうとする態度にある。東洋の観臓もまた、このような実証的傾向の延長上に位置づけることができる。
とはいえ、当時、解剖学を実践的に必要としていたのは主として外科医であり、内科医である東洋にとって、身体内部の構造理解は直接的な必要性を持っていたわけではない。また吉益東洞が批判したように、死体観察から生体機能を直接知ることもできない。それゆえ、東洋の観臓の重要性は、解剖学的な知識の収集や確認の事実にあるというよりも、人体認識のそのものの変化を示唆しているという点にある。
すなわち東洋以前においては、人体とは「書物に記されたもの」を通して理解される対象であった。しかし東洋の観臓によって、逆に「人体」を基準として書物の記述を検証するという方向への転回が生じたのである。そこでは古典は絶対的権威ではなく、実見によって確かめられるべき対象となる。この転回は、単なる解剖学史上の事件ではなく、十八世紀日本における医学知の成立条件そのものの変化を示している。
本発表では、『蔵志』を参照しつつ、東洋の観臓が人体認識の方法をいかに変容させたのかを検討する。
(3)16:30―17:50 牟田由喜子
「在来タンポポの雑種化」をめぐる市民の態度とその変容過程
「在来タンポポの雑種化」は、専門家と市民とで意味づけが異なり得る事象である。本研究は、この事象をめぐる市民の態度形成と、観察・対話への参加による変容過程を明らかにすることを目的とした。世田谷区住民への質問紙調査から、自然観は「共生的自然観」と「人間中心・利用的自然観」の二次元から成ることが示された。また観察・対話会の発話をM-GTAで分析した結果、〈回避〉〈感情的接近〉〈内的葛藤の言語化〉〈納得解の多方向的生成〉〈行動意図と現実的制約の衝突〉という変容プロセスが得られ、態度の認識・感情・行動の三成分モデルと対応する一方、多方向的生成はFischerの収束的参加モデルを超えるものであった。態度変容は価値観に応じて分岐し、科学的知識は態度を決定づけるのではなく、判断のための素材の一つとして機能することが示唆された。
本発表では、「FPSSで佐賀徹雄氏が提示された『現代版デカルトの樹』」に照らし、① 市民の価値判断において科学知識はどこに位置づくか、② 市民は科学を判断のための有用な素材と捉えるのか、それとも文化そのものと捉えるのか、の2点について皆様と議論したい。
文献例:Fischer, F. (2000). Citizens, Experts, and the Environment: The Politics of Local Knowledge. Duke University Press.

