会のまとめ
今回は11名の参加申し込みがあり(1名欠席)、議論も充実したものになった。参加された皆様に改めて感謝したい。会は以下のような内容について検討が加えられた。
(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑨カール・ポパーによるプラトン批判 (発表スライド)
今回は、プラトン(427-347 BC)と医学をテーマにした前回の発表を準備する過程で気がついたプラトン哲学への厳しい非難の中身を検討しようという意図のもとに計画した。普段、祭り上げられているプラトンのイメージしかなかったことも興味を引いた理由であった。具体的には、プラトン批判の急先鋒である科学哲学者カール・ポパー(1902-1994)の『開かれた社会とその敵』(1945)を読み、ポパーの考えを基本となるところを掴もうということであった。
この本の執筆を決めたのは、ヒトラー(1889-1945)がポパーの祖国オーストリアに侵攻した1938年3月13日のことであった。執筆終了後も1943年まで校正を重ねていたようである。ポパーは本書執筆の目的を、偉大な人間、あるいは人間を超えた権威に我々の精神的独立を捧げ従属するという悪弊を断つことであるとし、そのためには次のような社会を擁護しなければならないとした。
1)普通の市民が平和で信頼できる友人関係の下で生きられる社会
2)自由が高い価値を持つ社会
3)責任をもって考え、行動できる社会
4)決して軽くない責任という重荷を喜んで担う社会
今回は『開かれた社会』の冒頭部分しか読むことができなかったが、そこでのキーワードは「ヒストリシズム」(historicism)であった。ポパーによれば、ものことをより高いところから考察し、その中から歴史発展の法則を明らかにすることにより、未来の予測が可能になるとする考え方である。その場合、普通の人間は考察の対象から消え、偉大な民族とか指導者、あるいは偉大な階級とか理念がその対象となる。
しかしポパーは、次の理由からヒストリシズムを批判した。
1)まず、人間の知識の発展を予測することなど不可能であり、人間の行為も同様である。このような状態では、歴史法則を導き出すことはできない。
2)歴史の必然を理由に個人の自由な選択を抑圧するため、歴史法則を信じることは全体主義に導く危険性がある。
その上で、プラトンとヘーゲル(1770-1831)とマルクス(1818-1883)を批判している。
古代からあるヒストリシズムの単純な一形態として、選民思想が指摘される。例えば有神論によれば、世界の創造主である神が、その意志を実現するために一つの民族(イスラエルの民)を選んだとされる。神の意志の代わりとして、自然法則や精神発展の法則、あるいは経済発展の法則が掲げられることがあった。
民族とは、文化的、歴史的、社会的概念で、「我々は同じ文化的共同体に属している」という自己意識を基礎にする集団で、国家と重なることもあるが、同じ概念ではない。また、生物学的、遺伝学的概念だとされる人種だが、実際には集団間より集団内での個人差の方が大きいため、この概念は科学的というよりは、植民地支配や奴隷制などを支える装置として機能する社会的偏見の産物(social construct)とされている。
選民思想は部族を組織の原理とする社会から産まれ、部族主義は部族の前にあって個人の意義を認めない。部族の代わりに、集団、階級を強調する立場もある。右翼における人種主義やファシズム、左翼におけるマルクス主義は、選民思想の特徴を持っているという。例えば、人種主義は、選ばれた人種が登場し、その生物学的優越性によって歴史の成り行きを説明する。また、マルクス主義は、選ばれた階級が取って代わり、経済主義的発展法則によって歴史を説明する。一つの問題は、歴史の目標を遥か彼方の未来(ユートピアのようなもの)に置くため、その過程がどんなに乱れても目標の下に正当化されてしまうことである。
歴史を遡ると、紀元前8世紀から7世紀に生きたヘシオドスに、歴史の発展には一般的な傾向があるとするヒストリシズムの教義が見られるという。それから、古代ギリシアで選民思想に相当するものが最初に見られるのがヘラクレイトス(540-480 BC)だという。このヘラクレイトスの影響を受けているのがヘーゲルで、ポパーはその哲学を批判するのである。ここでヘラクレイトスのヒストリシズムについて見ておきたい。
ヘラクレイトスは「すべては流れる」(パンタレイ)と言ったように、世界を物質により構築されたものとしてではなく、プロセスとして見た。生々流転を強調しているが、その背後には変化することのない運命の法則が存在すると考えるのはヒストリシズムの重要な特徴だという。ヘラクレイトスはまた、「自然は自らを隠すことを好む」とも言っているが、これは経験を重んじる探究者を軽蔑したものだというのがポパーの解釈である。そこから、知力は直観的であるという神秘主義的理論が生まれ、神秘的直観を与えられた者が必要となったのだとする。このような考えは、社会的変革期に登場することが多いと言われる。
ポパーは、このヘラクレイトスの影響を受けたプラトンでヒストリシズムは頂点に達したと見ている。確かに、プラトンの生きた時代も戦争と激動の時代で、20代前半まではペロポネソス戦争(431-404 BC)の中にあった。そこからヘラクレイトスの万物は流転するという認識に至った可能性はある。そしてヒストリシストとして、「あらゆる社会的変化は退廃・腐敗する」という法則を確立し、腐敗も変化もしない最善で完全な(イデア的な)国家を求めたのだった。
制度の利益をいかに最大化するのかに興味を持つ社会工学者とは対照的に、ヒストリシストは制度の起源や使命、真の役割を発見しようとする。プラトンの政治目標は、① 歴史の腐敗に見られるヘラクレイトス的流転を免れること、② 腐敗に染まらない完全国家を樹立すること、そして ③ そのモデルは歴史の腐敗を経験していない黎明期にあると考えた。その起源にはイデアがあるが、これは心の中の観念ではなく、時空間の外に確かに存在しているもので、純粋思考によってのみ近接できるものだとプラトンは考えていた。
ところで、知覚対象物とは別のイデア的なものをどのように知るのだろうか。これは本質を目指す者にとって興味深い問題である。この本では次のような方法が記載されており、これまで自分がやってきたことが裏づけられたような気分になった。それはソクラテスの方法とでも言えるもので、例えば賢明さというような性質について、いろいろな行動に現れる賢明さを論じ、そこに共通のものを明らかにする。アリストテレス(384-322 BC)はこれを、本質を取り出す作業と言っている。また、普遍的定義の問題を提起したのはソクラテスが最初であるとも指摘している。
プラトンのこのような考え方を「方法論的本質論」と呼び、この方法を用いる学問は、隠されている本当の姿(本質)を明らかにすることが課題であると考えており、それは始祖の中に発見されると考えている。これと対極にあるのが「方法論的唯名論」で、こちらは本質など存在せず、個々の存在の集まりに名前が付けられているに過ぎないと考える。したがって、その目的は様々な状況下でどのように振舞うのかを記述し、規則性を確認することになる。この2つの見方をエネルギーを例にとって示すとすれば、前者はエネルギーとは何かを問い、後者はエネルギーをどのように利用できるのかに興味を示すもので、現代の自然科学に近い考え方と言えるだろう。
ここで、プラトンが目指した最善国家について見ておきたい。最善国家には3つの階級がある。① 統治者、② 統治者のための戦士、③ 労働者(支配階級の物質的要求を満たすための家畜とされる)で、この他に金銭で売買される奴隷がいたが、これは別扱いで、廃絶の対象でもなかった。支配階級の懸念は、階級間の対立ではなく、支配階級内での利害対立で、共産主義を導入したようである。
次に、プラトンによる政治的腐敗の4段階について触れておきたい。最も賢く神に近い人間が統治する最善国家から、① 名誉政(名誉や名声を求める野心的な貴族が支配する)、② 寡頭政(富裕な家族群が支配する)、③ 民主政(寡頭政の支配者側と貧困階級との階級闘争が勃発し、支配者側が抹殺され、自由と法の下の平等が支配する――自由は放縦で、平等は無法である考えたプラトンは民主政に否定的であった)、そして ④ 僭主政(非合法的に奪取された最終的な病としての政治形態)へと進むとされる。
これらのヒストリシズムに対抗するために、ポパーは何を考えていたのだろうか。結論から言えば、ユートピアに向かうために社会全体を設計するという態度ではなく、個々の問題を一つずつ検証し、改善するという試行錯誤を繰り返す「科学的態度」を提案し、これこそが人間の自由を守るやり方だとしたのである。「漸進的改革論」<Piecemeal social engineering>である。これはナチズムやスターリニズムが台頭していた当時における哲学的で具体的な防衛策となった。
社会の発展の法則を見つけて大改革をしようとする考えと、漸進的に改革を進めようとする考えとの対立は現在でも見られるが、これまでの歴史はどちらを支持しているのだろうか。その考えを持つことと、それを実社会に移すことの間には溝があるはずだが、このあたりの構造をどのように理解して、その間の動きをどのように制御するのか。考えておくべきことは多いように見える。
(2)尾内達也: T-N-S Theory on Space and Time――西欧の時間・空間論の起源と「靖国」の分析 (発表スライド)
アブストラクト提出時からの思索過程で、上のようにタイトルを変更することになったとの説明があった。今回、新たに「T-N-S理論」(ここではTNS理論と表記する)の11の命題が提示された後、歴史、国家的過去との関連で靖國問題が議論された。
まず、TNS理論の前提として、時間はTNSの3層構造を成すと定義される。
T:「時間存在」(Time Being:絶対的客観とされる)
N:「自然的時間存在」(Natural Time Being:相対的客観)
S:「社会的時間存在」(Social Time Being:主観)
これらの相互関係は、Tが上位にあり、そこからSとNが生成されるが、それを誘導するのは人間の社会的実践であるとする。
Nは、ユクスキュル(1864-1944)が種には固有の知覚世界があるとした「環世界」(Umwelt)を持つ有機体(N1)とそれがない無機物(N2)に分けられる。この環世界の対概念は客観的にそこに存在しているという意味の「環境」(Umgebung)で、そこから各個体が自らの環世界を選び取っていることになる。N1の時空間は種の数だけ存在し、N2の時空間はSの時空間がN2に投影された時に現われる。Sの環世界は個体、時代、文化、地域などによって変化し、Sが目的を決めてNに働きかけるという社会的実践の構造が影響を与えている。尾内氏は、環世界という概念を導入したため、科学的な知識の客観性、普遍性を疑い出したという。そこで、我々の環世界を前提にしている科学知を絶対的客観ではなく、相対的客観と規定する。<しかし、科学知はあくまでも暫定的な真理にしか過ぎないもので、絶対的なものとして捉えている人はいないのではないだろうか。>ここまでがイントロで、ここから11の命題が提示される。
1) 有即時、時即有
これは道元(1200-1253)の言葉だろうか。存在とは独立して時間が存在するというニュートン的世界ではなく、存在は同時に時間であり、時間は存在であるという時間と存在が表裏一体の関係にある世界だろう。Tは予め存在している所与であり、「環境」を構成している。種の環世界ごとに時空間が存在する。Sは環世界自体を常に新しく生み出している。
2)万物は一瞬である
万物は一瞬の自己展開であり、その都度新しく生成している。
3)Tは生成変化する
4)TにはNとSの区別が生じる
この区別を生み出すものは、人間と自然との物質代謝(=労働過程)である。各環世界は閉鎖的であるが、他の環世界と限定的に交通し得る。例えば、人間社会における行事や自然の変化を文学的に表現することにより交通は可能になる。あるいは、犬や猫との交流は日常的である。
5)Sは人間活動によって現実化する
社会的存在における時間の本質は社会関係(空間)である。そこにおける空間は時間に先行し、時間とは労働時間であり、空間とは商品空間である。
6)社会的時間存在の時間とは、歴史的時間存在(Historical Time Being)である
社会的時間存在における死は永遠ではなく、歴史的な一様態である。それは存在の停止ではなく、記憶、意味、象徴の「再帰的物質代謝」の過程で変容することを意味する。再帰的物質代謝とは、社会が自らの物質代謝と社会的物質代謝という労働過程の二重性を省察して、社会構造を再構成できる能力のことで、人間に固有のものである。この過程は社会解放の源泉ともなれば、社会操作の源泉ともなるが、社会への自己省察の深度と目的が社会操作のベクトルを決めるという。したがって死は、社会的記憶と意味作用により持続的に生成し、家、社会、国家の再生産・維持・統合に関与する。
7)歴史は、「歴史的被害存在」(Historical Suffering Being)の痛みによって作られる
我々が「過去」と呼ぶものは一切終わっておらず、それを終わったもの、閉じたものとして物象化する力が「現在の統治権力」で、その正当化のために、過去を操作・修正・編集する。過去には、現在の統治権力が関与する「国家的過去」と関与できない「私的過去」がある。国家的過去は、操作・修正・編集の力と歴史的被害存在の痛みによる過去の制作とが戦う場であり、社会的な問題となる。
8)Sにおいて時間が生成されるのは、出来事を参照する体系の普遍性に依拠する
これは、出来事を測定する体系(例えば、天体の運動とか時計など)が普遍的に受容され、それに同期されると社会的に時間が生成するという意味である。Sにおいて、空間が時間に先行する。
9)観測や測定などの認識行為は、Tの崩壊を意味する
TはSにおいてのみ現象するが、Sによって完全に認識されることはない。認識行為がTをSの存在形式に変換するため、両者の間には常に認識論的差異が生まれる。科学はSのTに対する自己投影であり、TをSに数学や言語などで写像したものである。<このあたりは、中身は異なるが、構造的にプラトンのイデア論にあるイデアと感覚界に在るそれぞれの存在との関係を想起させる。イデアが感覚界で分有されているという構造。>科学知は相対的客観性と相対的普遍性を持ち、人間の環世界の時空に条件づけられている。
10)Tは超越的内在であり、絶対的客観である
超越とは世界外にある神的原理で、内在とは世界内に働く生成・存在の原理である。超越的内在とは、超越的なものが内在の中に含まれていることだが、Tは神の超越と異なり、意志や目的を持たない。<このような構造の特徴は、スピノザの「神即自然」を想起させる。スピノザの神は人間的属性(意志や目的)を持たないとされ、それが自然界に内在しているということなので。>
Tはすべての存在の根底に働くが、Sにおける媒介を経てしか認識されない。つまり、Sの自己反省によりそれを可視化するしか認識の方法はない。その痕跡は、Sにおける言語と行為の縁辺に刻まれており、それを解読するのが哲学であり、それを響かせるのが詩である。そして、詩はTの生成そのものに関与し、Sの言語にTの息遣いを取り戻す。
11)自然科学はTあるいはNを記述していると自己理解しているが、科学知はSの次元へのTあるいはNの写像であることの自己反省ができていない
そのため、科学はNを支配対象へと転化し、知識がSの支配の道具となる
<私見では、自然科学はTまでも記述しているとは考えていないのではないかと想像しているが、いかがだろうか。>
これでTNS理論の11の命題の提示が終わり、靖國問題へと議論が進む。
まず、靖國問題はどのような問題なのかが取り上げられる。この問題は、総理の公式参拝を切っ掛けに、定義はなかったように思うが、天皇教<天皇を神聖なものとして崇敬する国家レベルでの儀礼システムで、特に明治から第2次世界大戦終了まで顕著だった政治・宗教的イデオロギー? この点についてはコメントを求めます>の外部(キリスト教、仏教)から信教の自由の問題として出現した。靖國遺族は<全員ではないと思うが>総理の公式参拝を求めるが、植民地だった韓国・台湾出身の兵士遺族は、主に靖国に戦犯(特にA級)が無断で合祀されたことの違法性を訴える訴訟を起こしている。これは歴史の形成をめぐる闘争の場になっているという。もう一つの中心軸は、国家統合イデオロギーで統合された社会システムの中心部である。このような全体を靖國問題として理解する。
官軍から皇軍に変容した軍の兵士の死は、「国家(皇室)の記憶、そして守護神」として統合されている。靖國は、Sである兵士を「皇軍兵士としての死」という一点で物象化し、それを儀式化・制度化することで英霊に変換することを繰り返している。死を神聖化して儀式化することにより、個別具体的な死が国家の物語の中に回収され、戦争責任をあいまいにする効果があるかもしれない。この問題を、国家(皇室)による加害者性も含めた「死の全体性の収奪」ではないかと表現し、問い掛けている。
最後に、アリストテレス(384-322 BC)とアウグスティヌス(354-430)への言及があったが、この点に関しては発表スライドを参照していただければ幸いである。
(3)久永眞一: 妄想と幻覚の正体? (発表スライド)
全体の流れは、次のようになっていた。
1)妄想とは何か
2)妄想、幻覚を理解するための神経科学の知識
3)妄想: 統合失調症、パーキンソン病の治療から分ること
4)幻覚とは何か――幻肢痛について
5)心的外傷後ストレス障害と恐怖記憶実験
6)妄想、幻覚が起こる仕組み
以下に、要点をまとめてみたい。
1)妄想とは何か
妄想について、いくつかの定義が紹介された。それによると、
① 根拠もなく、あれこれ想像すること、あるいはその内容。
② 仏語: 囚われの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること、あるいはその内容。妄念(執着による)、邪念(よこしまな心による)。
③ 『デジタル大辞泉』: 根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信を持ち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念。現実検討能力の障害による精神病の症状として生じるが、気分障害や薬物中毒等でも見られる。誇大妄想、被害妄想など。
④ カール・ヤスパース: 誤った、強く確信された、訂正困難な考え。
2)空想と妄想の違い
いずれも現実にはありえない考えを指すが、空想が現実とは異なっていることを知りながら頭の中で思い巡らすのに対して、妄想は現実でないことを現実であるかのように確信して考えることで、病的な状態とされる。
統合失調症で見られる妄想には、被害妄想、注察妄想、誇大妄想、関係妄想、恋愛妄想、心気妄想、罪業妄想、貧困妄想などがある。ここでは被害妄想と注察妄想が紹介された。
被害妄想とは、誰かから危害を加えられているといった確信を持つもので、最初は漠然とした不信感から始まるが、徐々に標的が定まってくることがある。本人は常に危険を感じているため、時に防衛のための行動に出ることもある。
注察妄想とは、自分が誰かに見張られている、監視されているという確信を持つことで、些細な出来事に過剰な意味づけをすることから始まることが多いとされる。そのため、外出できなくなるなどの生活面への影響も出てくる。
3)脳科学の基礎知識について
脳機能は主に神経細胞間のネットワークによるもので、神経細胞間の連絡は、グルタミン酸、アセチルコリン、ドーパミン、GABAなどの神経伝達物質によっている。ネットワークの詳細については、発表スライドを参照していただければ幸いである。
4)統合失調症とパーキンソン病の治療から妄想を考える
妄想や幻覚は統合失調症の陽性症状で、治療薬としてドーパミン遮断薬が使われるが、これはこれらの症状が過剰なドーパミンによって引き起こされるというドーパミン仮説に基づくものである。一方、パーキンソン病は黒質のドーパミン神経の脱落が原因とされるので、その治療としてドーパミンの補充が行われる。その際、副作用として妄想や幻覚が出る。これらの結果から、妄想にはドーパミンが関与することが強く示唆される。ドーパミン神経回路については、発表スライドを参照していただければ幸いである。
妄想を伝える言語を持つのはヒトに限られるため、動物実験ができない。また、ヒトにおいても妄想の客観的評価手段がないということから、妄想研究は非常に難しい。そこで、起こっていないことを起こっていると知覚が感じる幻覚について話が展開した。
5)幻覚、あるいは幻肢痛について
幻覚とは、実際にない刺激を実際に存在するかのように知覚することで、実際にある刺激を誤って知覚する錯覚とは異なっている。幻覚には、幻聴、幻視、幻味、幻臭、幻触覚(皮膚幻覚、体感幻覚)などがあり、統合失調症、アルコール依存症、薬物依存症、器質性神経病、心因反応、双極性障害などで見られる。ここでは、幻肢痛(phantom limb pain)が詳しく議論された。
四肢切断後の患者の80%以上は失った四肢が存在するような感覚や失った四肢が存在していた部位に温冷感や痺れ感などを知覚する。これは幻肢と総称され、痛みが伴うものを幻肢痛と言う。幻肢痛には疼痛の記憶が関与し、分子メカニズムは神経障害性疼痛全般に共通していると考えられている。
ここで痛みについて検討される。痛みには組織損傷に伴う痛みがどこで起こるのかを識別する感覚受容の側面と、不安、過去の記憶などの影響を受ける情動認知の側面がある。感覚受容は温・冷・蝕・圧刺激などの外から受ける感覚や、体に加えられる危害や傷害による痛覚に関わるものを含む。強い刺激は傷害刺激、その受容体は傷害受容器と呼ばれ、熱、機械的、化学的の3種類に分類される。痛みの伝達は一次求心性線維と呼ばれる神経により、2種類ある。一つは有髄のAα、Aβ、Aδ繊維で伝達速度が速く、もう一つは無髄のC線維で伝達度は遅い。
幻肢痛の治療法として、ミラーセラピーが有効な場合があるという。具体的には、次のようなステップを踏む。患者の体の中心部に鏡を置き、患側を鏡の後ろに隠して鏡に映った健常側の動きを観察するようにする。そうすることにより、ないはずの患側が意図通りに動いていると錯覚するようになる。これを繰り返すことにより、知覚・運動野の再構築が誘導され、混線したネットワークが改善されて疼痛が軽減することになる。この原理をバーチャルリアリティーを用いた療法へと発展させる動きもあるようである。
次に、今そこにない痛みを感じるという点で、幻肢痛との類似が指摘されている心的外傷後ストレス障害(PTSD)について検討された。
6)PTSDと恐怖記憶実験
PTSDとは、戦争、天災、事故、犯罪、虐待などの心的外傷(トラウマ)が原因となって生じる精神的な障害のことで、本人の意志と関係なくトラウマが蘇ったり、悪夢を見て眠れなくなったり、刺激に敏感になり不安になったり、周囲と断絶されたように感じたりと多彩な症状を示す。
PTSDの研究には、イワン・パブロフ(1849-1936)の条件反射の系を用いた恐怖条件付けが使われる。まず、1920年に行われた発達心理学で最も有名なリトル・アルバート実験が紹介された。これは行動主義心理学の創始者ジョン・B・ワトソン(1878-1958)らが生後9か月の男児を選び、準備の実験をした後、生後11か月でパブロフの系で恐怖を条件付けすることができることを示したとされている(詳細は発表スライド参照)。ただ、科学的、倫理的な批判も出されている。
次に、マウスを用いた恐怖の条件付けで、そのメカニズムについての説明があった。この実験系は、音や光などの恐怖反応を起こさない中性刺激(条件刺激 conditioned stimulus: CS)と電気ショックなどの恐怖刺激(無条件刺激 unconditioned stimulus: US)を関連づけて学習させ、最終的にはCSだけで恐怖の反応を引き起こすものである。
そのメカニズムは、別々に機能していたCSに反応する神経回路とUSに反応する神経回路が同時に活性化するようになると、両者をつなぐシナプスが強化され、CSの回路からUSの回路への連絡が生まれるためであるとされる。その際に形成されるネットワークは条件づけ記憶のエングラムと呼ばれ、CSだけでもUSのエングラム細胞が同期活性化し、USの反応が生じる。つまり、条件反射は、脳内に新しい記憶ネットワークが形成される学習過程であることが分る。
7)妄想、幻覚が起こる仕組みの考察
統合失調症において、オッズ比が1.5以下の関連遺伝子は見つかっているが、原因遺伝子、連鎖遺伝子、リスク遺伝子は見つかっておらず、多因子疾患と考えられている。乳幼児期に爆発的に増加するシナプスは思春期から成人にかけて刈り込みが起こり減少するが、本症ではそれが過剰になり、シナプス数の減少が見られる。この刈り込みに関与する補体C4遺伝子が報告されている(Nature 530: 177–183, 2016)。ただ、刈り込みが不足する(時期と場所によるのか?)という説もあるようだが、一般的にはシナプスは減少するとされている。その他、興奮性と抑制性神経ネットワークのバランスの破綻も指摘されている。
これらを踏まえ、妄想はどのようにして生まれるのだろうか。妄想は脳の意味づけ(予測機能)の誤作動によるとされているが、上述の現象がその分子基盤を構成していると考えられる。さらに、線条体のドーパミンが過剰になることでネットワークを混線させ、本来関連のない考えに重要性を与え、それが妄想につながり、さらに固定化されていくという流れが考えられているようである。
本発表の演題の最後には「?」がついているので、これからどのように展開するのか見守りたいものである。







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