17-FPSS





第17回サイファイフォーラムFPSS



日時: 2026年7月11日(土)13:00~17:00

会場: 日仏会館 509会議室



東京都渋谷区恵比寿三丁目9番25号

会費: 一般 1,500円、学生 500円(飲み物は各自ご持参ください)

参加を希望される方は、以下まで連絡をいただければ幸いです

連絡先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com)

よろしくお願いいたします



プログラム


(1)13:00-14:00 矢倉英隆

    シリーズ「科学と哲学」⑪ プラトン哲学と現代的課題

これまで5回に亘ってプラトン(427–347 BCE)の哲学と科学を見直してきましたが、最後に、それらが現代に投げかけている問題を拾い上げ、改めて西洋哲学の源流にあると言われる知の在り方について考えることにいたしました。そうすることで、われわれの思考や認識の明晰さと深さがさらに向上することになるとすれば幸いです。


(2)14:00-15:20 林 洋輔

    文化のエグゼルシス:概念からPerforming Arts、そしてSportへ
   
フランス哲学の議論で時に掲出される述語「エグゼルシスExercice」(英:エクササイズExercise)は、邦訳の困難な語彙である。およそ「何らかの目的完遂を期して何事かを行う」といった大枠の実質は定まるものの、その精確な内包や外延は、いまなお研究者の抱える論題である。しかし、この「エグゼルシス」なる語彙を単に翻訳の問題として片づけることは早計である。というのも、フランス内外の有力な哲学者たち——本発表でも参照予定のPierre Hadot, Xavier Pavie, Stephen Gaukroger,そしてDenis Moreauなど——はこの「エグゼルシス」を哲学の問題にとどめるどころか、特定の文化活動を説明するための原理としても採用しているからである。本発表ではこの「エグゼルシス」の概念の実質を簡略に提示かつ検討することに始まり、この概念が人間の文化を適切に説明するうえでの原理としても機能することを提示して今後の発展的議論につなげたい。

議論の端緒には、Pierre Hadotが哲学観の一として自らの議論で継続して示したExercices Spirituels——我が国の哲学界では「精神の修練」と試訳がなされている——の議論を取り上げる。というのも、「エグゼルシス」の概念が哲学研究および文化研究で本格的な注目に値することを明確に示したのは、Hadotによる一連の議論だからである。本発表では語義の基礎や哲学史研究における議論を瞥見したのち、次の方向へ議論のかじを切る。すなわち、「身体文化」への着眼である。というのも日本語として定着した語彙「エクササイズ」は、一般に健康増進を目的とした軽運動として受容されているが、上記の経緯を踏まえるならば、身体運動の諸問題を哲学として捉え直す際にも「エグゼルシス」(エクササイズ)への着眼は有効だからである。

議論の中盤以降では上記のPierre Hadotに影響を受けたフランスの「スポーツ哲学 La philosophie du sport」の議論を検討し、次いでHadotの議論を英語圏で継続的に展開するDavidsonの議論を参照する。両者の議論はこれまで知性や想像力、感覚や意志といった知的活動に議論の射程が収まっていた「エグゼルシス」の議論を新たな段階に進ませる。すなわち、両者の議論は心身の全体を射程に据えた「生き方としての哲学Philosophy as a Way of Life」の根幹に位置づく概念として「エグゼルシス」を再定位する。発表者は両者の業績、そして自らの学術的成果をも加味して「エグゼルシス」を「尽力」と訳出し、その是非をめぐって参加者との討議に臨みたい。


(3)15:30-16:50 森 望

    生命との対話:二つのライフヒストリー  〜遺伝子・脳・言語・AI・音楽〜

私は若い時から「老化研究者」でしたが、すでに二度の定年を経て本物の「老化研究者」になりました。老化の研究者でもあり、老化した研究者でもあります。しかし、米国で科学研究を目指した最初のころは遺伝子の進化に興味がありました。地球上での生命の誕生、それについてはアミノ酸や核酸の生成やRNAワールドなどがよく議論されましたが、私自身は最初期の遺伝子は何か? リボソームのような高度に複雑なタンパク質合成装置などなかった時代の原始的な翻訳装置はどのようなものだったのか? 初期のエネルギー産生系はどうしてできたのか? など生命の初期進化の様相としての「遺伝子の創世記」(図1)について考えていました。


(図1)


今から思えば、すべて「空論」だったかもしれません。生命科学を志す人間としてみれば大変興味深い題材でしたが、実験的検証ができず「真理」が全くつかめないことを理解し、諦めました。実験的検証が可能な科学、いろいろな方向性がある中で、私は遺伝子を取り扱う技術を身につけ、分野としては神経科学の領域へ進むことに決めました。米国ロサンゼルスのシティー・オブ・ホープという小さな研究所からカリフォルニア工科大学(通称、カルテック)へ移籍し、その頃は科学研究の真髄に触れた気がしていました。その後、南カリフォルニア大学の老年学研究所で初めて自分の研究室をもち、その頃から本格的に「脳の老化研究」を進めてきました。帰国して、国立長寿医療研究センターの分子遺伝学研究部の立ち上げに関わり、その後、日本の西海岸の長崎大学で「寿命遺伝子」や「老化脳」の研究を進めました。「老い」をみつめ、「老い」を考え、そうするうちに自分自身も「老い」ていった、そんな「老いの遍歴」の中で我が人生を振り返っています。

ここではこうした背景をもとに、「いのちの歴史」「ライフヒストリー」を二つの視点でとらえてみようと思います。地球上で連綿と繋がってきた生き物の歴史としての「生命史」、それとひとつの命としての「人生」です。それには「進化」と「老い」が密接に関わってきます(図2)。老化脳研究はアルツハイマー病などの認知症の問題とも深く関係しますので、海馬を中心とした学習記憶や認知の研究にも関わりました。その中で霊長類進化の果てに高度な「知性をもったサル」となった人類の「脳」は、その知性ゆえに「悩む」ことにもなったと理解しました。「脳ありてこそ悩める」のです(図3)。


(図2)


(図3)


科学や学問の世界では「真理」の探究がその真髄にありますが、そのためには自分だけの深い思考だけでなく、他者との議論の中で考えを修正していくことが大切です。その原点には、すぐれた先人たちの「対話」がありました。ソクラテスやプラトンに限らず、ヒポクラテス、ルネ・デカルト、クロード・ベルナール、ルイ・パスツール、等々。私たちの思考は多くの優れた先人たちとの時代を超越した言語による語らいによって「深化」し「進化」します。

その「言語」を生み出したのは、まぎれもなく人類の脳ですが、それがいまや人類の外の脳ともいえる人工知能「AI」を産出しました。かつて、チャールズ・ダーウィンが進化における「自然選択」の考え方を提示しましたが、もはや、地球上であたかも「神を演ずる」かのような現代人の先に「自然淘汰」はなく、「生命なき生命」のようなAIロボットを生み出しつつあるのです。それにはさまざまな不安な問題を孕んでいることを危惧したりもしますが、一方でAIの恩恵は無限でもあります。正解かどうかはわかりませんが、過去の先人たちの知恵と「対話」するよりも、現状のAIと「対話」するほうが真理の理解への早道かもしれない、そんな時代になりつつあります。

矢倉先生の運営されるサイファイ研究所のホームページを拝見し、そこからさまざまな刺激と啓発を得ています。私には科学哲学の大部分は理解できませんが、生命進化や脳科学を中心にやってきた自分にとっては「自然と生命を考える」とか、「意識と幸福の三層構造」の項目は興味深く拝見しました。その後者の中で、矢倉先生の提示された「意識の三層構造」「幸福の三層構造」について自分なりに咀嚼して「幸せの構図」という歌を作りました。歌詞はchat-gptとの「対話」の中で洗練させて、その後、音楽生成AIのSUNOで作曲させています。AIはすぐれものですが、すべてがいいわけではありません。自分の感性に照らしてベストに近いものを選別し、それを納得できる形に修正していきます。そうしてできた一曲がこれです。聴いてみてください。

「幸せの構図」
作詞:森望 + chat-gpt、作曲:SUNO-AI、楽曲作成:nozomumori
Made by Morison Music
この講演では上述の「二つのライフヒストリー」を中心に生命科学の世界と「対話」しつつ、SUNO-AIとの共同作業として生み出した「AI共奏音楽」を数曲流しながら、「科学サロン」に「音楽喫茶」の雰囲気を入れ込みながら、「生命との対話」を論じてみたいと思います。