12-FPSS



第12回サイファイフォーラムFPSS


日時: 2024年11月9日(土)13:00~17:00

会場: 恵比寿カルフール C会議室


渋谷区恵比寿4-6-1
恵比寿MFビルB1

参加費: 一般 1,500円、学生 500円
(コーヒーか紅茶が付きます)

参加を希望される方は、以下まで連絡をいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

連絡先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com)



プログラム

(1)13:00—14:00 矢倉英隆
   シリーズ「科学と哲学」⑥ 科学の創始者としてのプラトン

 これまでソクラテス以前の哲学者の歩みを見てきましたが、彼らは自然を構成している根源的な要素(アルケー)を探究しました。ヘラクレイトス(c. 540-c. 480 BC)やパルメニデス(c. 520-c. 450 BC)などの教えに影響を受けたプラトン(427-347 BC)は、広い領域について考えましたが、その中に、科学(知識)とは何かという問題があります。今回は、科学の創始者と考える人もいるプラトンを取り上げます。対話篇『テアイテトス』を指標として、現代の哲学者の思索なども参照しながら、科学とは何か、知るとは何を言うのかについて考えることにいたします。



(2)14:00—15:20 尾内達也 <発表者の都合により、キャンセルとなりました>
   TB-LB Theory 2.0

 TB-LB Theoryとは、Time being-Labour being Theoryの略で、時間と存在を切り離すことなく一体のものとして、「時間存在」「存在時間」として考察する時間理論です。以前発表したTB-LB Theory 1.0において、時間の本質を「社会関係」にあると規定しました。しかし、これは一面的で主観的な時間論でした。

 TB-LB Theory 2.0においては、これを批判的に推し進めて、時間を人間の社会活動によって生み出される「主観的時間」と、人間活動から独立した「客観的時間」の2つに分けて、この2つの時間の関係性を、社会的存在と自然的存在の関係性として捉え返して考察します。このとき、このふたつの存在の関係は、「物質代謝関係」として、表現できます。この「物質代謝関係」が、「主観的時間」と「客観的時間」を分節化しているのではないか、と考えます。この点を、ジェルジ・ルカーチと斎藤幸平氏の論考を手掛かりに考えたいと思っています。

 第2のポイントとして、時間と空間の関係をどう考えるかということがあります。TB-LB Theory 1.0において、時間の本質を「社会関係」にあると規定しましたが、空間との時間との関係性の視点で、これを捉えなおすと、たとえば、時計にしても、惑星間運動にしても、時間に先行して、空間への参照が存在していると言えます。同時に、商品空間に典型的なように、空間の中に、時間が労働時間として凝縮されています。この例における、「参照」と「凝縮」のように、自然的存在においては、時間よりも空間が先行し、社会的存在においては、空間よりも時間が先行します。この空間を、物質あるいは運動と言い換えると、アリストテレスの古代思想に近くなります。この時間と空間の関係についても、アリストテレスなどの古代思想や、物理学の時間と空間の関係についての考え方などを参照しつつ、考察を進めたいと考えています。

<発表内容については、後ほど掲載する予定です>


(2)14:00—15:20 矢倉英隆 <代替演題>
   マルセル・コンシュの哲学

 マルセル・コンシュは1922年に生まれ、100歳をひと月後に控えた2022年2月に亡くなったフランスの哲学者で、わたしが将来を模索していた2006年に日仏学院で偶然手にした雑誌でその存在を知ることになりました。それ以来、折に触れてその考えを読むようになり、多くの示唆を与えられてきました。しかしこの間、日本でコンシュの名前を見ることはほとんどありませんでした。この機会に、彼の哲学について振り返ることにも意義があるのではないかと考え、この話題を取り上げることにいたしました。具体的には、わたしが最初に読んだ雑誌記事から見える彼の哲学的立場を紹介した後、「哲学と科学」「自然」「時間」「形而上学」などについてのコンシュの考えを提示し、皆様と意見交換できればと思っております。



(3)15:30―16:50 阿戸 学
   日本の背骨としての仏教思想

 仏教は、紀元前5世紀のインドで、欲望を否定することで輪廻の運命から解脱することを目的として成立し、その後大乗仏教と小乗仏教に分離し、西域を経て中国に伝来し、日本には6世紀に朝鮮半島より強力な厄除けとして導入され、鎮護国家の道具として採用され、鎌倉新仏教によって日本独自の民衆の宗教となり、江戸時代に寺請制度として民衆コントロールの道具となり、その力を失って現在の葬式仏教に至る。以上が一般的な日本の仏教に対する認識であろう。しかし、現在の研究成果からはこの認識のかなりの部分が誤りであることがわかっている。仏教思想は、宗教そのもののみならず論理学、存在論、認識論、倫理学を含む学問体系であり、かつては、現代において科学的手法により事象を解析するのと同等の実践的な方法論でもあった。また、多数の仏教由来の用語が日常的に用いられていることからわかるように、日本人の思想の背骨の一部を仏教思想が形成していることが明らかにもかかわらず、現在において、仏教思想が思想的問題を解析するための方法論として用いられることは皆無と言って良い。

 本発表では、まず、史料に基づいたブッダの思想の時間的、地理的変遷を概説する。さらに、日本の仏教思想の共通点と独自性、および日本固有の思想(古神道)や外来思想(中国思想、西洋哲学等)との融合により、それぞれの時代の課題にどのように対峙してきたかを解説する予定である。仏教思想が、現在の日本の思想様式に前提として潜伏している部分について、あるいは、現在の思想的問題の指標となりうるのか、参加者の皆様と議論できればと考えている。


会のまとめ



今回は、札幌から参加された方が1名、学生さんが4名も参加され、わたしを含めると15名の会となった。全体の雰囲気がいつもとは違うと感じた。もちろん、それは良い意味でである。学生さんに声をかけていただいた竹田扇氏に感謝したい。

 

(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑥ 科学の創始者としてのプラトン(発表スライド

最初に、サイファイ研究所 ISHEの理念と、その理念の下に行っているカフェとフォーラムの活動について紹介した後、シリーズ「科学と哲学」のこれまでの5回の歩みをざっと振り返った。そこで扱った「ソクラテス以前の哲学者」には、タレスアナクシマンドロスアナクシメネスピタゴラスエンペドクレスヘラクレイトスパルメニデスアナクサゴラスデモクリトスなどが含まれている。それぞれが、この世界の根源に迫る思索を展開したことは、特筆に値する。人類の理性が初めて目覚めた時にこのような思考が行われていたことに驚くと同時に、それから2,500年以上が経過した現代の人類は、そこまでの根源的思考を行っているだろうか。彼らの目指したところに目を向けることは、極めて現代的な行いのように見えてくる。それがこれまでの5回を終えての感想である。さらに言えば、目的は最初にあるのではなく最後に現れると考えているわたしにとっては、嬉しい目的の発見となった

6回目の今回は、テーマを「プラトンと科学」とした。「ソクラテス以前の哲学者」について振り返ってきたため、プラトン哲学がどうしてあのような二元論になったのかという思考過程がより明確に見えてくるように感じた。プラトンに影響を与えた哲学者として、この世界は流れ(生成)の中にあると考えたヘラクレイトスがいる。しかし、生成の中にあるのは偽りの世界で、真理に至ることはできない。その「意見(ドクサ)の道」に対して、生成も消滅もしない「存在」がこの世界の本質だとする「真理(アレーテイア)の道」を唱えたパルメニデスがいる。ただ、ヘラクレイトスとパルメニデスの哲学は対立しているのではなく、流れゆく生成の世界の背後には、揺るぐことのない存在の世界があるという見方も提出されている。パルメニデスについては、最近のカフェでも取り上げているので参照していただければ幸いである。

 * 第12回サイファイカフェSHE 札幌(2024.10.19)

 * 第10回 ベルクソンカフェ(2024.11.5)

プラトンは、感覚で捉えることができる感性界(the sensible)と、感覚器から離れて理性や知性を働かせなければ把握できないイデア界(the intelligible)を設定した。この見方は、ヘラクレイトスとパルメニデスの両方の哲学を取り込んだとも言えるものである。若い時にヘラクレイトスの流れを汲むクラチュロスの影響を受けていたプラトンは、それでは真理に辿り着けないと考え、パルメニデス的な変化することのない永遠の存在を想定することになったのではないだろうか。

さて、プラトンは科学をどのように捉えていたのだろうか。対話篇『テアイテトス』の副題は「知識について」となっており、知識とは何か、知るとはどういうことなのか、が議論される。これをフランス語版を読むと、"la science"(科学)とは何かが議論されている対話篇となっている。つまり、"science" の原義が「知識の総和」であることに拠っている。「知る」という行為、知識を得るとは何を言うのかという問いに答えることが、科学の性質を明らかにするという認識である。

その上で、この対話篇では、(1)知識は感覚である、(2)知識は真なる思いなしである、(3)知識は真なる思いなしに言説・説明(ロゴス)が付いたものである、というテアイテトスが提出した3つの可能性について検討されるが、いずれも知識とは何かという問いに答えたことにはならないと結論される。この問題は現代に至るまで解決されているとは言えないのではないだろうか。認識論は未だに哲学の大きなテーマとして残っているのだから。

対話篇『メノン』では、「知っているものも知らないものも探求できない」という有名なパラドックスが提示されている。その理由は、すでに対象を知っているのであればそもそも探究する必要がないし、まだ知らない対象であれば、どのように探究するのかも、見つけたものが本当に探していたものなのかも分からないからである。そこから言えることは、「知っているものしか探求できない」ということである。これに対してどのような説明をするのであろうか。

ソクラテスは想起説(アナムネーシス)で応える。その議論は以下のようなものである。人間の魂は不死であるので、それまでにすべてのものことを学んでいる。その魂が身体に入ることで人間の中に具わるので、そもそも魂は真理を知っていることになる。したがって、知るということ、探求するということは、それを想い起すことに他ならないという議論である。魂の永遠を信じている場合には、よく理解できる。

ただ、この場合の知識はすでに知られていることに限られる可能性が高い。そこでは新しい知識はどのような位置づけになるのだろうか。生成の中にある感性界を対象にした科学が明らかにする知は永遠の真理とは程遠いが、ある範囲の中では一貫性のある新しい事実を捉えることはできる。とすれば、科学の知を無視することはできないだろう。これから考えるべきはむしろ、この科学知と永遠の真理とされるものとの関係をどのようなものにするのか(すべきなのか)というところにありそうである。この問題は、サイファイ研究所ISHEの理念やFPSSのシリーズ「科学と哲学」の問題意識とも関係するように見える。

ここで、現代の視点から見た科学に対するプラトンの貢献について考えてみたい。科学は、人間の感覚器(以下、代表して「視覚」として話す)から離れて多くの機器による観察へと移行しているが、それはあくまでも感性界を「見ている」と言ってよいだろう。そこで得られた情報をいくら集めても、あるいは最新の機器によってこの世界を完璧に写し取ったとしても、そこから本質的な真理が現れるとは思えない。本質に至るには、どうしても抽象的な、論理的な、理性的な思考が必要になる。それはイデア界と関係するものに近いのではないだろうか。現象の観察とその結果についての抽象的思考によって、対象の実像に迫ることが期待される。このような過程は現代の科学者が行っているものに近いような気がしており、その原型をプラトンに見ることができるとは言えないだろうか。

最後に、プラトンが真理の探究を人間の義務であると考えていたことを指摘しておきたい。魂の永遠を信じていたプラトンは、この世から去る時に残るのは魂だけであり、この生においてできるだけ魂を高めておくことが、あの世(ハデス)での永遠の時を生きる最良の方法になると説いている。つまり、真理の探究は――それが科学を介した感性界に関するものであれ、さらに望ましい抽象的、絶対的な真理であれ――人間にとって欠かせない道徳的・宗教的義務の要素があるとしている。さらに、洞窟のアレゴリーでは、真理に辿り着いた人間は再び感性界に戻り、その真理を還元しなければならないということにも言及している。


(2)矢倉英隆: マルセル・コンシュの哲学(発表スライド

発表予定だった尾内氏の都合が悪くなったため、代役として話題を提供することにした。選んだテーマは、これまで気になっていた日本では無名の哲学者マルセル・コンシュ(1922-2022)である。話の進め方として、彼の人生を簡単に振り返った後、わたしがコンシュを知ることになった哲学雑誌 Philosophie Magazine 創刊号(2006年)に掲載されたインタビュー記事をもとに、彼の哲学を紹介し、そこで扱われているテーマについて議論するという形で進めた。

コンシュは、1922年3月27日、コレーズ県アルティヤックという小さな村に生まれた。家は農家で、母親はお産直後に亡くなり、叔母が母親となった。その後の経過は以下の通りである。

1944年、地元の学校で学んだ後、パリに出てソルボンヌで学ぶ。1950年、哲学のアグレガシオン (1級教員資格) を取得。1950年から1963年まで、シェルブール、エヴルー、ヴェルサイユのリセで教える。リール大学での哲学助手、専任講師を経て、1969年からパリ第一大学の専任講師、1978年から1988年まではパリ第一大学教授、名誉教授になってからは30年以上田舎に籠り、思索に励み、2022年2月27日、あとひと月で百寿というところで、アン県トレフォールで亡くなる(享年99)。

コンシュの仕事は多岐に亘り、以下のような著作を残している。

1)哲学史関連では、FPSSのシリーズ「科学と哲学」でも取り上げたアナクシマンドロス、ヘラクレイトス 、パルメニデスなどの断片や老子についての注釈書の他、ピュロンエピクロス(ご自身はエピキュリアンだと言っている)、師と仰いているモンテーニュ(後出)、ハイデガーなどについての著作も残している。

2)形而上学の領域では、『哲学的指針』(1974)、『偶然性』(1989)、『哲学の意味』(1999)、『自然の現前』(2001)、『明日のための哲学』(2003)、『無限に哲学する』(2005)、『形而上学』(2012)などの作品がある。

3)倫理と道徳哲学に関しては、『道徳の基盤』(1982)、『生きることと哲学すること』(1992)、『愛の分析とその他の主題』(1997)、『ある哲学者の告白』(2003)、『エピクロスについて』(2014)、『再び考える:スピノザとその他の主題について』(2016)、『形而上学と道徳の新たな思索』(2017)などがある。

4)文学作品として、『私の以前の人生』(1997)、『愛について』(2003)、『奇妙な日記』(全5巻:2006; 2007; 2008; 2009; 2010)、『コレーズのエピクロス』(2014)、『道程-ある知的な人生の日記』(2017)などを書き残している。



わたしがコンシュという存在を知ったのは、2006年。飯田橋の日仏学院メディアテークで偶然手に取った
雑誌 Philosophie Magazine 創刊号のインタビュー記事の中でのことであった。そこで彼は次のようなことを問題にしていた。

1)無神論的哲学について: 哲学は1つの根源的な経験に揺さぶられて始まり、その展開でしかない。彼の場合、アウシュビッツとヒロシマでの子供の苦しみを「絶対悪」(いかなる観点からも正当化できない悪)と認識したことに始まったという。そこから神を弁護する者(神学者など)への批判となったが、生活の一形態としての宗教、あるいはそれを生きる人たちを批判したものではないと断わっている。コンシュはキリスト教の環境で育ったが、早い時期に哲学に向かった。それは、農村に哲学という学問はなかったので、あくまでもご自身の理性の発達による選択であったとしている。哲学とは理性の働きによるもので、神には出会いようがないこと、真の哲学は 「神なき精神性」すなわちギリシアのものであることを主張。デカルトカントヘーゲルなどは偉大な思想家だが、哲学者とは考えておらず、彼が師とする真の哲学者はモンテーニュであると言っている。

2)科学と哲学の違いについて: 科学は「証明」を通して「部分」についての一つの真理を「所有」するが、それは暫定的なものである。それに対して、形而上学としての哲学は、「現実全体」についての真理を見つけようとする試みである。そこで問題になるのは「証明」ではなく「瞑想」である。それは一つの「試み」であるため、決定的なことは出てこない。科学とは異なり、複数の形而上学が成立し得る。したがって、哲学(形而上学)を科学にしようとすることは誤りであるとしている。

哲学の方法を瞑想であるとしている点は、わたしを大いに励ますものであった。瞑想により領域を区切ることなくあるものの全体を視野に入れることができるようになることを知ったからである。それと重要なことは、そこでの思考には論理性、厳密な論理の繋がりがなければならないと考えるようになった。つまり、厳密な論理性を伴った瞑想をわたしの方法とすることにしたのである。

3)「縮小された時間」と「果てしない時間」について:「縮小された時間」とは、我々が生きている日常の時間で、そこで行われる哲学は、時代という儚いものの中で構築されたものになるため、その重要性は時の審判を受ける。一方、「果てしない時間」とは、日常が消えた永遠の時間であり、そこでの哲学においては人間世界が捨象され、久遠の自然の営みが対象になる。この分類で言えば、前者の哲学者には古くはソクラテスがおり、現代ではかなり多くの哲学者がそこに入りそうである。それに対する後者には、ソクラテス以前の哲学者が入るのではないだろうか。自らを分類するとすれば、「果てしない時間」の中にいると言えるだろう。

4)行動(l’action)と活動(l’activité)について: 「行動」が人生を社会的、政治的なものと捉え、歴史的に生きる中で行われるのに対して、「活動」は他者との微妙なニュアンスに重要性を置くもので、創造的な即興性が求められると言う。その上でコンシュは、哲学者は行動する人間である必要はなく、思索という活動に向かうべきであるとし、行動と思索の両立はできないと考えている。もちろん、哲学者は積極的に現在に関わらなければならないという考え方の人も少なくないだろう。この問題について自らを振り返ると、わたしの場合はコンシュの考え方に近いように感じている。ただ、他の対立でも見られるように、同一人物の中でも変容していくことはあり得るのではないだろうか。

5)「自然」について: コンシュにとって絶対的なものは「自然」であり、「物質」の概念は不十分に見える。物質に創造性を見るのは難しいが、自然には創造性があり、それは厳密な因果関係からは生まれない。そこにいたずらっぽさや即興がなければならない。自然を詩人として見ている。つまり彼は、自然主義者ではあるが、唯物論者ではないと規定している。その自然は歴史、文化、自由と対立するように現代では考えられているが、ソクラテス以前の哲学者たちの自然は、パルメニデスが永遠の「存在」を、ヘラクレイトスは永遠の「生成」を、そしてエンペドクレスが永遠の「循環」を明らかにしたように、相互に補完し合っている。ギリシアの「自然」(ピュシス:physis)はすべてを包み込むのである。

このように考えるようになった原点には、1963年(41歳の時)にモンテーニュを発見したことがあるという。それまでは神を中心に回る近代の人工的な哲学の中にいたが、この出会いを機に、古代ギリシアの自然哲学に回帰することを決意し、ルクレティウス、エピクロス、ヘラクレイトス、パルメニデスなどに導かれてきた。元々農村の育ちなので、土を相手に生活していたが、アカデミアの世界に入ってからそのことを忘れていた。モンテーニュを介して自らの根に返ることができたと述懐している。

6)哲学者について―『形而上学』(2012)から―: 人間が携わっているほとんどの活動は些細なことである。なぜなら、彼らは自らの存在条件や人間とは何かということを探求するのではなく、特定の仕事を持ち、社会で何らかの役割を果たすことで、この社会をまさに存在せしめているからである。それに対して哲学者になるということは、ある意味で自己に立ち戻ること、すなわち社会から距離を置き、孤独を選択することである。

哲学者というものは実質的には何の役にも立たず、社会的に決まった役割も持っていない。哲学教師には、学生の試験の準備をするという役割はあるが、、。哲学者の条件は、哲学活動を阻害する欲望、名誉、金銭、特にパスカルの言う 「気晴らし」 (divertissement) を拒否することだという。この点はよく理解できるようになっている。しかし、この条件を満たしていない自称哲学者も少なくないとのことである。

7)真理と幸福について―ビデオ 『ある哲学者の自然』(2015)から― コンシュは、人生の目標を幸福ではなく、真理に近づくこと、すなわち哲学することに置いたという。そのために、愛情よりも哲学の方に力を入れてきたようだ。これは、ニーチェがそうであったように、真理の探究と幸福とは対立するものとして見ていたことを示唆するものだろう。しかし驚いたことに、幸福を求めていなかったにもかかわらず、哲学に勤しむ過程で至福の時を味わうことになったと言うのである。この事実を逆説のように語っているが、これは逆説ではないとわたしは考えるようになっている。例えば、アリストテレスは(最も高いところにある知に至るための)瞑想能力(哲学する能力と言ってもよいだろう)を持てば持つほど人は幸福になると考えていたし、哲学者アラン・バディウ(1937-)もずばり、真の幸福は真理を求める中にあると言っている。真理の探究と幸福とは対立関係にあるというより、強い因果で結ばれていると考えると、違った人生の道が見えてくるのではないだろうか。

コンシュが亡くなった2022年、弟子のアンドレ・コント=スポンヴィル(1952-)は、次のようなオマージュを師に捧げている。

彼は時代の流れから距離をとり、その哲学は時を弁えないが、極めて現代的である。テーマは 「存在」「実在」「真理」という 「全体」 に関する根源的なもので、その分析は深く、正確で、厳密で、哲学的快活さがあった。彼は真の形而上学者である。

ここで「哲学的快活さ」と訳した "alacrité philosophique" という言葉には、目にする者(わたし)に活力を与える魔力のようなものがある。それが具体的にどのようなことを言っているのか、まだヴェールに覆われているようでもあるが、少しずつその姿が顔を出してくるような予感もある。いずれにせよ、この出会いを別のレベルへと発展させたいものである。


(3)阿戸 学: 日本の背骨としての仏教思想(発表スライド

紀元前5世紀のインドで始まった仏教は、朝鮮半島を経由して6世紀の日本に辿り着いた。その後、仏教は日本人の思想の背骨の一部を構成するようになる。仏教思想は、論理学、存在論、認識論、倫理学を含む広範な学問体系を持ち、かつては科学的手法に近い実践的な問題解決の方法として用いられていたようだが、現代では見られなくなっているという。このような認識の下、本発表では、仏教思想の歴史的・思想的変遷を概観しながら、日本の仏教思想の独自性や古神道、さらには外来思想(中国思想、西洋哲学など)との融合により、各時代の問題がどのように解決されてきたのか、さらに現代日本における仏教思想の現状と可能性が検討される。

まず、仏教以前(紀元前1,500~1,000年頃)のインド思想として、ヴェーダ哲学が取り上げられる。それによれば、最初に「有」があり(無からの創造ではない)、それは「ブラフマン」と呼ばれる原因を必要としない根本実在で、唯一無二のものだという。さらに、自己認識の主体を「アートマン」と呼び、それは世界そのもの、すなわち「有」と同一であり不二だという(梵我一如)。

このところソクラテス以前の哲学者パルメニデスと親しく交わっているためか、これを聞いた時、そこにパルメニデスがいるような錯覚に陥った。パルメニデスの場合も、この世界は生成も消滅もしない永遠の「存在/有」であり、「存在」は「思惟」と同じだと言っている。このような共通点に気づいている人がいるのかを確かめたところ、イギリスの比較宗教学者ロバート・チャールズ・ゼーナー(Robert Charles Zaehner, 1913–1974)が1974年の著作の中で、パルメニデスの「真理/存在の道」はヴェーダーンタ哲学ウパニシャッドに焦点を当てたもので、ブラフマン<宇宙の本質>とアートマン<自己の本質>が同一だとする)の「ブラフマン」と比較されると指摘している。実に興味深い対応である。

それから紀元前7-6世紀になると、六師外道の時代に入る。この頃になると都市が形成され、農村から都市へ人が流れて行き、部族やカーストに依存しないヴェーダからも離れた自由な思想が誕生するようになった。六師外道とは、釈迦ゴータマ・シッダッタ)と同時代にマガダ地方で活躍した、仏教の側から見ると異教徒になる6人の在野の思想家を指している。

次に、当時の仏陀の教えの紹介があった。まず第一に、すべてのことがらは原因があって生じ、止滅も同様であるが、仏陀はその原因を説いたという。仏教においては真理はもとからあるものだが、そこに覆いがあるのでそれを取り去る必要がある。ハイデガー的な図だが、それをやったものが仏になるという。原因があって結果が生まれるという縁起であり、これは如来が出ようが出まいが(ダルマ)として定まっている。如来はそれを悟り、そして「汝たちも見よ」と教え示す。このあたりは(1)の演題で示されたプラトンが説く、叡智界に向かうアナバシスの後、感性界に戻り叡智を伝えるカタバシスに対応するようにも見える。さらに、移ろいゆくもの――色(肉体・物質)、感覚、表象、意識など――は常なるものにあらず、無常であり、それは苦である。それは我所(自分のものとして所有するもの)あるいは我体(自分の本体・霊魂)となすことはできないという。このあたりも古代ギリシアの思想と通底するものがありそうである。

仏陀は、正覚(しょうがく:真理を悟ること)と涅槃(=ニルヴァーナ:輪廻からの解放、完全な静寂、自由)に本当に役に立ち、実践に導くものだけを説いた。それは、苦であり、苦の生起であり、苦の滅尽であるとして勉励せよということである。つまり、仏教の基本である自己の完成に至るには、自己に対する固定観念を捨て、四諦(したい:4つの聖なる真理)について、正しい方法(八正道)で不断の努力することにより、法を会得しなければならない。その結果、道理を会得し、自由の境地に達した者がすることは、有能、率直、端正なること、良き言葉を語り、柔和にして、高慢ならざることである。そして、生きとし生けるものの上に、また一切の世間に対して、限りない慈しみの思いを注げと説く。

当初は仏陀の教えは有用なものに限られていたが、次第に「真理に照らして」正しい限り、内容の変更が可能になった。大乗仏典の出現がその例であり、その傾向はさらに強まっていったようである。その背景には、悟りは自らの体験によるもので、第三者から教わるものではないということがある。同時に、悟りの内容は第三者には伝えられない。これは禅などに繋がるという(不立文字)。生きとし生けるものには生まれながらにして仏となる素質があり(一切衆生悉有仏性:いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)、それが有情(動物)、無情(植物・鉱物)に広がる時、仏性の遍在性が説かれる。

大乗仏教が紀元頃に分離し、外国に波及していく。日本に伝来したのは6世紀。513年、百済から五経博士(詩、書、礼、易、春秋を教える人)が渡来。当時は、異国からやって来た神という意味の「蕃神」(あだしくにのかみ)や「今来神」(いまきのかみ)などとして受け入れられていたようである。552年には、百済から仏像と仏典の公式な授与があった。また、584年には日本初の出家者善信尼が出ている。

それから7世紀に入ると、聖徳太子(593-622)が登場。十七条憲法(604)の制定や法隆寺の建立(607)、さらに法華経』『勝鬘経』(しょうまんぎょう)『維摩経』の注釈書(義疏)である三経義疏』(さんぎょうぎしょ)を著すなどして、仏教の興隆に努めた。8世紀の聖武天皇(701-756)の時代には天然痘が大流行したため、天皇は仏教に深く帰依した。743年には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出したりしている。

その後の歴史としては、天台宗の最澄(767-822)、真言宗の空海(774-835)、浄土宗の法然(1133-1212)、浄土真宗の親鸞(1173-1263)、日蓮宗の日蓮(1222-1282)、曹洞宗の道元(1200-1253)、華厳宗の明恵上人(1173-1232)、そして仁王不動明王のような厳しく激しい精神で修行する「仁王不動禅」を提唱した鈴木正三(1579-1655)らが取り上げられた。最後に、近代西洋思想と日本仏教思想の相剋が話題となり、そこに関わった西田幾多郎(1870-1945)、和辻哲郎(1889-1960)、三木清(1897-1945)らが紹介された。

このように、ざっと仏教の成立と日本における歴史を見てきた。西欧の仏教研究者は原始仏教にしか興味を示さないところがあるとのお話であったが、個人的にも始原の歴史により興味を惹かれた。さらに、そこにあるように見えた東と西に通底する根源的な思想の生成にも好奇心を刺激された。



(まとめ: 2024年11月17日)



参加者からのコメント


◉ 第12回サイファイフォーラムFPSSに参加させていただきありがとうございました。

初めての参加で緊張もあり、会の最中には発言することができなかったのですが、プラトン「テアイテトス」について、マルセル・コンシュについて、阿戸先生の「日本の背骨としての仏教」、どれも素晴らしい発表で、参加者の方々の侃侃諤諤の議論も非常に刺激的で、楽しい時間を過ごしました。特に印象に残っているのは、自然科学の分野で研究をしてこられた先生方の中でも、「科学によって真理の道に到達できるのかどうか」という問題について皆さんそれぞれ異なる観点をお持ちだということでした。

テアイテトスで示された三つの知識の定義のうち、最後のもの、つまり「知識とは検証された真の意見である」という定義で言われる「知識」は、科学的な研究の中で得られる知識のありかたととても近いものだと感じたのですが、プラトン(対話篇中のソクラテス)はそれすら知識の定義としては不十分であるとして退けるのですね。そうすると、科学によって到達できない真理とは一体どういう性質のものなのか、考えさせられます。そういえばどなたかが示していらっしゃったフェルマーの例はとても面白かったです。まず定理が先に示されその後ずいぶん後になってようやくその証明が為されたということは、証明されるかされないかに関わらず真理は真理としてすでに存在しているということの、比喩的なあらわれであるように感じられたからです。

プラトンの対話篇の中で、この「パルメニデス」は異なるレイヤーでの議論がなされているように思います。というのも、他の対話篇では「愛」や「徳」などのそれ自体は知識の内容になるようなものについて議論が交わされていますが、「知識」とは何かということになると、それらの内容を含む「知識」を、いわばメタレベルで定義する試みになってくるからです。ソクラテスは神託によって「知識ある者」として位置づけられ、さまざまな議論を繰り広げますが、知識ある者ソクラテスも知識とは何かについて結論を得ることができないというのはどこか示唆的です。

今回の勉強会に参加させていただいて、科学と哲学のつながりについて改めて考えることができました。勉強会後の懇親会にもこころよく受け入れていただいて、いろいろなお話ができて楽しかったです。今後もまたぜひ参加させていただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


◉ 先日はありがとうございました。以下、感想です。

アレーティア=隠された物(レ―ティア)を、否定形・取り去る(ア)=非・隠蔽=真理、と語源を伺い、人間の思考のかたちに触れた気がしました。子どものころ、「変身して悪と戦う正義の味方は、なぜ真の姿を隠して(人間のふり)をしているのか」と思っていました。「真理は隠されている」という人間の思考の型は、物語世界や、日本の仏教(日本の神々はインドの仏が化身して現れた)のなかにも無意識的に反映されているような気がしました。また今回の阿戸氏の仏教のお話で、仏教が啓典による宗教とは異なり経典が次々と書き継がれていくことを伺い、「なぜゴータマは1人なのに、仏教には多種多様な仏が登場するのか?」という長年の疑問が解けて、すっきり納得することができました。


◉ 遅くなりましたがFPSS-12の感想を送らせていただきます。

今回とりあげられたのは「科学の創始者としてのプラトン」、「マルセル・コンシュの哲学」そして「日本の背骨としての仏教」の3つ話題でした。そこには「真理」を追究するという時空を超えた根源的な人間の思索あり方がみられ、それはFPSSの科学の形而上学化というテーマと重なるようでとても充実した興味深い時間でした。

プラトンが、真理そして、真理の探究は人間の義務でありそこに辿り着いた人間は再び感性界に戻り、その真理を還元しなければならない、そしてそこには人間にとって欠かせない道徳的・宗教的義務の要素があるとした考え方は、仏教の開祖である思想家ゴータマ・ブッダのスッタニバータ(ブッダのことば)での対話の思想と重なるようでとても興味深く思いました。2500年前にこのような思想が形成されていたことに改めて驚きを禁じ得ませんでした。阿戸先生の仏教のお話については、仏教が現在の思想的な問題の指標となり得るかという点について改めてシリーズでお伺いしてみたいと思いました。

そして、コンシュの言葉が印象に残りました。科学は証明を通して部分についての一つの真理を所有するがそれは暫定的である。形而上学としての哲学は、現実全体についての真理を見つけようとする試みである。そこで問題となるのは証明ではなく瞑想である。それは一つの試みであるため、決定的なことは出てこない。複数の形而上学が成立し得る。

貴重な時間をありがとうございました。


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