11-FPSS




第11回サイファイフォーラムFPSS


日時: 2024年7月13日(土)13:00~17:00

会場: 恵比寿カルフール C会議室


渋谷区恵比寿4-6-1
恵比寿MFビルB1

参加費: 一般 1,500円、学生 500円
(コーヒーか紅茶が付きます)



プログラム

(1)13:00—14:00 矢倉英隆
   シリーズ「科学と哲学」⑤ ソクラテス以前の哲学者-5

 今回は、前回取り上げたアナクサゴラス(c. 500-c. 428 BC)に遅れること40年、トラキア地方のアブデラで生まれ、90年ほど生きたと言われるデモクリトス(c. 460–c. 370 BC)の人生と思想について検討します。彼は膨大な著作を書いたとされますが、残っているのはその断片だけです。また、師のレウキッポス(5th century BC)と共に、自然は分割不可能な「原子」と「空虚」から構成されるとしました。これは、アナクサゴラスが唱えた、物体は無限に分割可能であり、宇宙は生命の種に溢れているとするパンスペルミア(宇宙汎種)説を引き継ぐものだとされる一方、近現代の科学に繋がるとも言われます。このあたりを中心に振り返る予定です。


(2)14:00—15:20 伊藤明子
   目的論と科学―カントの有機体論が開いた視座

 6年前に、カントの『判断力批判』(1790)の解説を通して、おもにE.マイアやM.デルブリュックの論文によりながら、目的論の有用性や目的因の実在性について、このフォーラムで発表しました。
 当時は、発展的解釈に比重を置いた発表となり、カントのテキストの説明が十分でなかったという感が否めません。そこで今回は、よりカントのテキストに沿った解説と、H.V.D.バーグの論文などを手がかりにカントの有機体論が単にheuristicな特徴のみにとどまらない別の一面を備えていることを示します。
 目的論とは、事物の生成変化の原因の一つに目的(目的因)があるという考え方です。このような発想は古代ギリシアの時からありましたが、17世紀の近代科学成立以降は批判や嘲笑の対象となり、プロパーな科学からは除外されました。一方で、そこには解釈の違いや誤解による否定も少なからず含まれています。つまり、一口に目的論と言ってもその内容は多義的なのです。カントの目的論とはいかなるものなのか。カントが17世紀以降の科学の流れに厳密に則りながら、何を目的論に認め、何に制限をかけたのか、再評価できるとしたらいかなる点においてなのか、についても見定めていきます。


(3)15:30-16:50 林 洋輔
   学問と「終極」の狭間をめぐる討議――体育哲学からの考察――

 自然科学あるいは学問の「目的」を問う場合、その回答はこの問いを一聴して容易く想起できる。例えばその回答とは「真理の探究」であり「新たな自然法則の発見」であり、また社会福祉や人間の幸福といった回答も可能である。ところがこの自然科学や学問が社会体制や政治経済と密接な関係を有する現在、学術研究の目的を設定したりその目的の達成に至る筋道の妥当性を答えたりすることは、容易ではない。本発表では報告者の専門分野である「体育学study of Taiiku」――人間の身体活動(身体運動)を研究対象とする応用科学、総合科学――を参照事例とし、現代における科学研究そして哲学の「目的」に係る論題を提供する。
 体育学は制度として19世紀末に産声を上げたものの、身体およびその活動を研究対象とする点において古代のヒポクラテス、あるいは『創世記』におけるヤコブの格技まで考察対象に含めうる。この背景には、現代の体育学が人文学・社会科学そして自然科学といった現行の学術全分野を包含して人間の身体活動を研究するといった特異な性格を有する点に求められる。さらにスポーツ科学や健康科学をも擁する現在の体育学は、価値や目的の問題に対していかなる立場を採り、例えば軍事研究や生命操作に対してはいかなる態度を示すのか。そして体育学における「哲学」の位置や役割とは何か。議論では「哲学の哲学」とも言われる「メタ哲学(Meta philosophy)」の知をも動員し、体育学から望む科学と哲学の「目的」について参加者と広く深く討議してみたい。


参加を希望される方は、以下まで連絡をいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

連絡先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com)



会のまとめ




今回、2名の方の欠席はあったが、新しい方が2名加わり、闊達な議論が展開した。以下、主宰者の視点から簡単に纏めてみたい。今回のプログラミングは何の意図もなく偶然に任せたものだったが、会でも指摘があったように、「目的」というテーマで繋がっていることに直前に気づき、驚いた。その他にも相互の発表に関連するものが見えてきたのではないかと想像している。各自がより大きな絵を描くことができれば面白いだろう。


(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑤ ソクラテス以前の哲学者-5(発表スライド) 

今回はソクラテス(c. 470-399 BC)とほぼ同年代のデモクリトス(c. 460-c. 370 BC )を中心とした原子論者を取り上げた。デモクリトスのようにソクラテスと同時代人もいるので「ソクラテス以前の哲学者」ではなく「初期ギリシア哲学者」という言い方をする方がよいという考え方もあるようである。ここではその思索が自然に向かい、特にアルケー(始原)の探究をしているような哲学者をソクラテス以前の哲学者とし、ソクラテスのようにその思索が人間の内面に向かった哲学者と区別することにしたい。ニーチェ(1844-1900)のように「プラトン以前の哲学者」という表現をする人もいる。また、デモクリトスの失われてしまった著作の中には倫理関係のものも見られるのでソクラテス的仕事もしていた哲学者とも言えるのだろうが、ここではこれまで通り「ソクラテス以前の哲学者」として扱うことにする。

古代の原子論者としてまず名前が挙がるのが、紀元前5世紀に活躍したとされるレウキッポスである。生没年不詳で、存在自体を疑う人もいる。存在したとする人は、紀元前490年頃ミレトスに生まれ、紀元前450年頃にアブデラに向かい学校を開設。そこにデモクリトスが加わったとされる。原資料が乏しいので、紀元3世紀のディオゲネス・ラエルティオスによる『ギリシア哲学者列伝』をもとに紹介したい。

それによれば、レウキッポスは万有は空なるもの(虚空、ケノン)と充実したもの(アトム=分割不能なもの)から成立し、原子(アトム)を万物の始元として措定した。諸々の世界は、諸物体(アトム)が虚空の中へ落ち込んで、互いに絡み合うことによって生じる。事物の総体は限りのないものであり、互いに他へと変化するものである。太陽は月の周りをより大きな円を描いて回転しているし、地球は(宇宙の)中心の周りをぐるぐる回りながら天空に浮かんでおり、その形はドラム状である。シリーズ第1回で紹介したアナクシマンドロスc. 610-546 BC)も大地は円筒状であると考えていた。

デモクリトスは当時の誰よりも広く旅をしたとされ、エジプト、ペルシャ、エチオピア、バビロニア、インドなどを訪問し、それぞれの地で知識を得たようである。そのデモクリトスの哲学だが、基本的にはレウキッポス同様、万有全体の始元はアトムと空虚(ケノン)であり、それ以外のものは副産物に過ぎないとした。アトムは大きさと数において限りのないもので、それらは万有の中を渦巻いて運ばれ、すべての合成物を生み出す。世界は数限りなくあり、生成し消滅するものである。何ものもあらぬものから生ずることはないし、あらぬものへと消滅することもない<アトムは常に存在していた>。魂(プシュケー)も同様にアトムから構成され、知性(ヌース)と同一であるとした。感覚・感情と知性との間に差異を認めなかったということか。

デモクリトスの著作は膨大で、ラエルティオスによれば、倫理学、自然学、数学、文芸、音楽、技術など60冊以上に及ぶと見られる。このような豊かな才能に警戒心を抱いたプラトン(427-347 BC)は、集めることができる限りのデモクリトスの著作を燃やそうとしたが、思い止まったとされる。アリストテレス(384-322 BC)と異なり、プラトンはデモクリトスを一度も引用していないようだ。

そのアリストテレスは『形而上学』の中で、レウキッポスとデモクリトスの哲学について、以下のように解説している。彼らは、実体と空虚がすべての構成要素だと主張、前者を存在、後者を非存在としたが、空虚については実体に劣らず「ある」とした。これは空虚が存在しないとするとアトムが動き回る場所がないことになると考えたからではないか。エレア派パルミニデス(c. 520-c. 450 BC)の「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」とする見方と対比される。さらに続けて、アトムは形態と配列と位置の3つによって区別され、その違いは下図のように説明できるとしている。


重要なことはアトムにはクオリアのような性質はなく、この世界に存在するのはアトムと空虚だけである。我々も目的のない偶然のアトムの組み合わせから出来ている。現代の科学者に見られる物理主義的傾向に合致する見方と言えるだろうか。

デモクリトスの認識論については2つの対立する見方がある。1つは、プラトンのように、感覚の真理を否定し理性の優位性を擁護するというもので、もう1つは、プロタゴラス(c. 490-c. 420 BC)のように、感覚による印象だけを認め、現象の真理を肯定するというものである。アリストテレスは『心とは何か』(魂について)の中でデモクリトスの霊魂論について触れ、心と理性は同一であり、現象こそ真理であると考えていたとしている。つまり、感覚による受容と理性による思考は同じであるとすることにより、現象と真理を同一のものにしたことになる。

レウキッポスやデモクリトスは、一体どのようにして原子と空虚から世界が構成されているという考えに行き着いたのだろうか。全くの無からこのような考えに至ることができるのだろうか。当時の資料が残っていないので何とも言えないが、古代ローマの自然哲学者ルクレティウス(c. 98 -c. 55 BC)が『物の本質について』の中に参考になる記述を残しているので紹介したい。

太陽の光線が暗い家の中へさし込む時、多くの微細な物質が光線を浴びて、騒然としているのを見るであろう。これによって、物の原子が宏大なる空間の中で、間断なく飛び廻っている様が想像できる。・・・これらの物質によく注意をとめて見ることは、このような混沌たる物質の運動が、実は原子にもまた、目にこそ見えないが、隠れひそんでいるということを示している点で有意義なのである。

つまり、感覚界における現象を注意深く観察することにより、目に見えない世界で起こっていることと結びつけることができることを示している。逸話によれば、ニュートン(1642-1727)が万有引力を発見したのは、リンゴが木から落ちるのを見た時だという。正に感覚界の現象から重力という目に見えないものの発見につながったことになる。このような思考の飛躍自体が類稀な想像力によるものなのだろうが、感覚で捉えられる現象を蔑ろにしないことが大切なのかもしれない。そこに真理が隠れている(現象=真理なの)かもしれないからである。

このような原子論だが、古代から現代に至るまで通奏低音のように人類の思考の底を流れるとも言われる。最後に現代の物理学者の評価をいくつか紹介して、今回の話を終えることにしたい。

まず、ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)だが、デモクリトスの原子論は現代物理学の理解とは異なっているが、分割不能な基本ユニットを構成しているアトムが空虚の中を動き回るというアイディアは、現代の量子力学の原理とも重なるところがあり、現代の原子論の先駆けと言えるのではないかと肯定的に評価している。リチャード・ファインマン(1918-1988)によれば、後代の人類に残すべき唯一の文章を選ぶとすれば、すべてのものは原子でできているという原子仮説ではないかと言っている。なぜなら、この一文には、ほんの少しの想像力と思考を働かせるだけで、世界に関する膨大な情報が含まれているからである。最後に、カルロ・ロヴェッリ(1956-)は、「もしデモクリトスの著作がすべて残され、アリストテレスのものが何も残されていなかったならば、我々の文明の知的歴史はもっと良いものになっていたのではないだろうか・・・」と最高の評価を与えている。

【追】デモクリトスに関してフランス語のウィキを見ていたところ、隠遁生活を求めたデモクリトスの生き様が書かれてあり、彼を非常に近く感じるようになった。その記述とは、

人気が出たからといって、社交的になったわけではない。それどころか、デモクリトスはより多くの時間を学問に捧げ、学者にありがちな煩わしい訪問や見せかけの会話に惑わされないために、孤独と暗闇を求めた。「彼は滅多に書斎を離れることはなく、世界に人間が存在しないかのように人々の中で生活していた」とキケロ(106-43 BC)は言う。さらに新しい隠れ家が彼を惹きつけ、そこに隠れるのがよいと考えた。それが街から遠く離れた暗い墓地だったのだ。サモサタのルキアノス(c.125-180<)によれば、デモクリトスは魂が肉体と共に死ぬと固く信じており、幽霊や亡霊、霊の帰還について語られることはすべて幻想に過ぎないと考えていた。デモクリトスは、より静かに学ぶために墓の中で何週間も過ごした。そこでは、彼は深い瞑想に専念した。

古代には近くに感じる哲学者が多く生きていた。


(2)伊藤明子: 目的論と科学―カントの有機体論が開いた視座(発表スライド

今回の発表は、2018年の第4回FPSSで発表された内容をさらに進め、特にカント(1724-1804)の『判断力批判』(1790)の第2部にある目的論の意義を明らかにしようとするものであった。この批判書は他のものに比べて研究が遅れているとのことであった。その内容に入る前に、普段からわたしが目的論に対して懐いている考えを大雑把に示し、それが発表を聞いた後にどのように変化したのかを分析することにしたい。わたしの考えは、次のようなものである。

神を信じる人は、この世界は神によって創造されたというところから始める。しかし科学は、超越的な存在やデザイナー的存在がこの世界を創造したという考えを排除し、あくまでも機械的、物理的な説明に徹すべきだという考えを採るようになった。科学が考える世界には何の目的も方向性もなく、偶然の積み重ねが現在の世界を形成していると考える。しかし実際の世界、特に生物界を眺めると――それが見ているのが人間であることが大きな理由なのだろうが――、そこにはある目的を持ってそうなったように見える現象がある。科学は目的論を排除したはずなのだが、これが目的論を忍び込ませる余地を生む原因になっているのではないだろうか。事実、1958年にはコリン・ピッテンドリ(1918-1996)はこの現象を目的論という言葉を避け、「テレオノミー」という概念を導入して説明し、後にジャック・モノー(1910-1976)などによって人口に膾炙されるようになった。

このように、科学は目的論を忌避している状況なので、科学者の頭の中には目的論は存在しないだろう。しかし、神を信じる人にとって目的論は当然のことなのだろうし、哲学の領域で目的論を論じることが避けられていることもない。つまり、目的論は科学の領域には存在しないように見えるだけで、その他の領域では確かに生きているのである。

この視点からみれば、前回のまとめに出てきた数学者でクリスチャンのジョン・レノックス(1943-)が目的論に沿う議論をするのは当然であり、その考えは唯物論者リチャード・ドーキンス(1941-)との対論でも明確に示されている。因みに、この対論を見たわたしの印象はそれ以前とは異なり、ドーキンスの議論には何かが欠けており、それをレノックスの議論が補っているように見え、寧ろレノックスにシンパシーを感じたことを思い出す。

同じく前回のまとめに出てきたマックス・デルブリュック(1906-1981)のアリストテレス評価について検討するため、彼の1971年の論文を読み直してみた。この論文で彼は、アリストテレスはDNAの発見者であるとまで言っている。師のプラトンがこの世界は静的なイデア(形相)の反映にしか過ぎないとしたのに対し、アリストテレスはある目的(telos)を持ったプランの下にダイナミックに動き生成するもので、そこには偶然はないとしてこの世界を捉えた。勿論、アリストテレスは永遠で神的な世界の存在を認めてはいたが、その情報は非常に少ない。それに比べて生まれ滅びる動植物の世界の情報は圧倒的に多いので、生物学についての研究を怠ることはなかったのである。そこで重要なことをアリストテレスは言っている。それは、臓器や組織などの部分を解析するのではなく、あくまでも機能的な全体を理解しなければならないということである。

その彼は、動物の生成においてオスの精子は、ホムンクルスのように出来上がった人間のミニチュアを卵子に渡すのではなく、いずれ出来上がるであろう人間の形態の原理(form=形相)を渡す役割を担っているとした。これを現代流に訳せば、そこに情報(in FORM ation)があり、形相があるということになり、その後情報は読み取られるが、その情報自体は変化することなく存在し続ける。アリストテレスの「不動の動者」という概念は、この生物学における研究から生まれたのではないかというのがデルブリュックの解釈であった。環境やエピジェネティックな変化が最終的な形態に影響を及ぼすので、DNAは完全な形相でないことを念頭においても、興味深い振り返りと言えるだろう。

ここから今回の発表に入りたい。最初に、アリストテレスの4原因説(質量因、形相因、作用因、目的因)についての説明があったように、かなり早い時期から人類の思考に根ざすものとして目的があったことが分かる。今回、目的論について論じる際に、目的が事物あるいは系に内在するのか、それを超えているのか(神のような超越的存在が関わっている)という観点の違いと、世界の全体がある目的に向かうのか、世界の中のシステム内において目的を想定できるのかというような対象領域の広狭による観点の違いを考慮に入れた。後者の場合、有機体における目的論が世界全体の目的論に移行することがあるという指摘があったが、これは生物において恰も目的を持っているように見えることから世界全体の目的へと飛躍するということなのだろうか。このような移行はしばしば問題を引き起こし得るので注意が必要である。

それから目的論の歴史が概説された。17世紀に科学革命が起こるとともに機械論が優勢になり、目的論は後景に退かざるを得なくなった。しかし、目的論を再評価する動きがあったとの指摘はあったが、元科学者としてはダーウィン(1809-1882)の『種の起源』(1859)はできるだけ目的論を排除しようとした産物であり、ハンス・ドリーシュ(1867-1941)のエンテレヒーは科学の外にある(生気論)という評価を受け容れていた。このような状況は、目的論は科学と対峙するものとして見られていたことを示唆するのであろう。

カントの目的論は、前述の観点の分類で言えば、超越的な目的を求めるのではなく、システム内に存在する目的を機能の連関の中で探究するという立場で、現代の科学者の立場に近いかもしれない。その上で、自然には自らが原因であり、結果でもあるという内的目的性や自己組織性を持った存在すなわち有機体があり、それを「自然目的」と言った。これをさらに解析していくと、部分と全体が相互に依存し合っており、目的論的視点も考えざるを得なくなり、非有機体の解析との違いも明らかになる。

カントはまた、目的論を「統制的原理としてのみ認める」という言い方をしている。これは対象を実在するものとして把握はできないが、人間の認識を深めるための助けになるようなものとして目的を利用するという意味合いで使っているように思われる。つまり、ある機能や現象が、恰も・・(目的を持っている)・・かのように(als ob)見て解析することが、特に有機体の場合には重要であるというのがカントの主張のようである。

今年はカント生誕300年に当たる。デモクリトスとは異なり、生誕の地ケーニヒスベルクを一生出ることなく、規則正しい生活をしながら、境界を超える思索を展開した。彼が『純粋理性批判』(1781/1787)、『実践理性批判』(1788)、『判断力批判』(1790)を出したのは、還暦を跨いで9年ほどの間の晩年の早業であった。もう13年も前のことになるが、パリで開催された人工生命に関する学会で数学者のポール・ブルジーヌさんとの忘れがたい出会いがあった。この時彼は「カントはフッサール(1859-1938)と共に科学者の必読書ですよ」という言葉を残したのである。それ以来、気にはなっていたのだが、お恥ずかしいながら、未だに触れることなく今日に至っている。これからカント本人の声を直に聴かなければならないと改めて思った一日となった。

最後に、カントが生物学に目的論的思考を導入しようとした意図を考えた時に浮かんできた考えについて触れておきたい。現代の科学は、そこに在るものを拾い上げ記述するところに留まっているように見える。それはものしかないような世界で、わたしが不全感を感じた根源にあったことである。現代の科学あるいは科学者の認識の幅に感じた物足りなさである。そこから「科学の形而上学化」(MOS)に向かって行き、科学の成果について形而上学を含めた他領域から解釈を加え、より豊かな認識に至るところまでを含めて新しい科学としてはどうかという提案をするに至った。

カントの場合、個人的な不全感というよりも科学的・哲学的な視点から、事実だけの世界ではより十全な自然の理解には至らないと考えてのことだったとは思うが、そこに目的論という実在が疑われるようなものを導入しようとしたのではないだろうか。この点ではわたしの思考(嗜好)とも繋がるものがあり、カントの目的論をより近いものに感じることができるようになった。同様の指摘がディスカッションの中でも出ていたように記憶している。この見方が正鵠を射ているのかどうか、やはりカント本人に当たってみなければならないだろう。


(3)林 洋輔: 学問と「終極」の狭間をめぐる討議――体育哲学からの考察――(発表スライド

この日最後の話題は、学問と「終極」の狭間をめぐる討議となっていた。このタイトルを最初に見た時、一体何が議論されるのかなかなか想像できなかった。しかし、終極を telos と関連させると、学問における目的のようなものをどのように考えるのかという議論に体育哲学の視点から一石を投じることはできないかという問題意識があると理解した。

まず、「体育」(Taiiku; Physical Education: PE)と「体育学」(Study of Taiiku)についての解説があった。まず体育学だが、医科学と社会科学と人文科学のキメラのようなものとして捉えられる領域という提示があった。

この中の医科学領域には、運動生理学バイオメカニクススポーツコーチング(体育方法学)、発育発達学(児童の運動能力測定・評価)、測定評価学、介護福祉・健康づくりアダプテッド・スポーツ科学(パラスポーツ研究)などが関与し、勝利、健康・福祉、改善に向ける科学として捉えられている。

社会科学領域には、体育(・スポーツ)社会学体育(・スポーツ)心理学体育経営管理学体育科教育学体育(・スポーツ)政策、保健などが含まれ、社会問題・課題の解決提案、方策の提示を行う。

人文科学の領域には、体育哲学体育史、スポーツ人類学(非西洋のスポーツの研究)などが関与し、「役立つ」応用哲学を進めるのか、理論の基盤づくりを優先するのかというジレンマを抱えているようである。

上述のように、体育という言葉とスポーツが混在しているところがあるが、1991年には大学での体育は必修ではなくなり、2018年には「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」になり、2020年には「体育の日」が「スポーツの日」に、さらに「国民体育大会」が今年から「国民スポーツ大会」に変わっているという。わたしなどは全く知らなかったが、体育からスポーツに移行しているようである。体育というのは身体「教育」であるのに対して、スポーツは以下の語源からも想像できるように、遊戯あるいは気晴らしの要素を含んでいる。

スポーツの語源はラテン語の deportare(ある物を別の場所に運び去る ➡ 憂いを持ち去る)、あるいは portare(荷を担わない)という言葉になり、そこから古フランス語 desporter(気晴らしをする)となり、英語の sport に至ったと考えられている。

いろいろな考え方があるという体育とスポーツの関係をどのように捉えればよいのだろうか。一つの見方として、狭義の体育と広義の体育に分ける立場があるようだ。前者は教科体育が目指す所謂「体育」(部活、体育祭、キャンプ、臨海実習など)であるのに対し、後者はスポーツなどの身体活動(スポーツの他に、日常生活における運動的要素が含まれる)を人生を豊かにするため、人間の能力を高め、維持するために使おうとするもので、便宜的に「体育・スポーツ」と呼び、前者と区別している。

この中の広義の体育を重視し、人生の長い時間軸の中で身体をどのように使うのかという視点から体育やスポーツを見直し、人間のウェルビーイング(well-being)を目指すものを「体育」とし、そのための応用科学、身体活動科学を「体育学」としてはどうかというのが発表者の立場のようである。つまり、体育学の対象となる領域の研究が目指す先に、恰もピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)の究極のオメガ点のように控えているのがウェルビーイングであるという捉え方である。しかしその実体は曖昧なものだという。

ただ、ウェルビーイングハピネスは違うという。前者が何が我々にとって善いものかという価値を問題にしているのに対して、後者はあくまでも感情的、心理的に良い状態を指している。問題は、ウェルビーイングに対する普遍的な定義はないのが現状で、あくまでもそれを求めている個人に限った回答しか用意されないことだという。つまり、体育学の目的も明確には規定されないことになる。そこで、学問の目的というより一般的な問題として捉え直し、メタ哲学の視点から解析を進める。メタ哲学は「哲学の哲学」とも言われ、哲学とはどういう営みで、どのように行わなければならないのか、なぜ哲学をするのか(=哲学の目的は何なのか)という問いを研究対象にしている。哲学(=学問)の目的を考える学問としてのメタ哲学という性質を応用して、体育学の目的をより鮮明にできないかと考えたようである。

 *S Overgaard, P Gilbert, S Burwood: An Introduction to Metaphilosophy (Cambridge UP, 2013)

目的に関する議論は、前発表にもあったようにアリストテレスから見られる古いもので、多くの哲学者が議論に加わっている。例えばキケロは、自然あるいは人生において何が究極の目的になっているのかを明らかにすること以上に求められるものはない、と言っているように、目的が最重要の課題とされている。

そこでスポーツの目的に戻るのだが、元来は社会的課題の解決などとは別の次元にあり、無目的(遊戯)というところに本質があったと考えられる。人間の文化(あるいは学問の探究)についても、ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)の『ホモ・ルーデンス』やロジェ・カイヨワ(1913-1978)の『遊びと人間』などに見られるように、社会的利害とは関係のない遊戯的なものの中で生まれたという考え方がある。もしそうであるならば、遊びの性格がどんどん失われることにより、スポーツの目的が失われているか、あるいは変質している可能性が高い。

現代科学についても同様で、本来の好奇心を基にした知の発見という遊びの要素がどんどん失われ、社会的価値がそこに侵入してきている。具体的には政治や経済の要請から科学技術を使わざるを得ない状況が生まれ、場合によっては大きな社会的問題を引き起こしている。このような背景の下、科学で問いかけることはできるが答えることはできない新たな問題が「トランスサイエンス」として生まれている(第9回FPSSでも牟田由喜子氏が取り上げた)。

このような社会的情勢の中で、体育学はどこを目指して進もうとしているのであろうか。その方向性は、社会のため、個人のためという面を強調するところに向かっているようだ。体育学は、健康で文化的な生活を保障する基礎になる体を研究するもので、個人の幸福と共生社会の実現に寄与することを目的にしていると言われる。また、子ども、スポーツ、社会参加などの言葉が躍り、スポーツの中に差別や孤独から解放され、社会との繋がるための力を見るようになっている。プラグマティックな考え方が前面に出て、真理の探究を目指す「純粋な」研究者からみれば、違和感を覚える流れだという。

体育学は人間とその身体活動を対象とするもので、ピエール・アドー(1922-2010)の「魂の鍛錬」(spiritual exercise)、「道徳的完璧主義」(moral perfectionism)を導きの言葉として、理想的な身体活動のある人間を探究する学問として捉えたいとの結論であった。アドーによるエグゼルシスExercice)には、自らの改善・変容を目指す一種の自己形成であり、自己教育(Paideia)の意味が込められている。この営みはサイファイ研究所ISHEのミッションにも通じるもので、ここでも不思議な繋がりを感じることとなった。

最後に、「体育学から読書教育へ」というサブテーマを掲げているとのことであったが、そのことに関連して、ピエール・アドーの「読むことを学ぶ」というエッセイを2019年春のベルクソンカフェで取り上げたことがある。参考までに「魂の鍛錬としての読書」という視点から振り返っていただきたい。

 *Exercices spirituels et philosophie antique 『魂の鍛錬と古代哲学』(Albin Michel, 2002)


 (まとめ: 2024年7月23日



参加者からのコメント


◉ 初めての参加でしたが、自由闊達な雰囲気の中で発表時間と同じくらいの討論時間が設けられているため発言しやすく、この分野の専門家でなくても十分に楽しめました。また参加者の中には専門家もおり、新たな知識や思考の糧を得ることが出来ました。この会では対象を自在に拡大、あるいは遠望し、多次元での議論が同時進行するので、哲学はcross scale、multimodalな発想の源泉であることを再認識しました。

会場の会議室・カフェである恵比寿カルフール(carrefour)という名前には「交流の場、シンポジウム」が含意されており、そこまで考え抜かれて選ばれたのでしょうか。Convivialitéに満ち溢れた会であり、様々なバックグラウンドの方々が参加されています。私の様なアマチュアでも受け入れてもらえますので、興味のある方は遠慮せずに是非参加されることをお勧めします。


◉ 発表者です。哲学の専門家にとってもかなり難しいと言われているカントの『判断力批判』、その第2部の説明が、どれほど皆さんに伝わったのか心もとないですが、カントの目的論が人間を含むあらゆる生物、環境、共同体などに対する皆さんの認識を少しでも拡張するものになりましたら幸いです。多くの示唆やご感想、重要なご指摘をいただきありがとうございました。最後にご挨拶できなかった方もいらっしゃいますので、この場を借りてお礼申し上げます。


◉ 今回は古代ギリシアのデモクリトスの原子論からカントの目的論そして現代の体育学の在り方という長い時間のスパンに横たわる哲学的な問題がとりあげられました。いずれの時代にも問題の根底には批判的な精神があり、そこには必ず激しい議論と意見の対立がみられます。そして哲学的な議論がその時代の思考を形成していくという共通項がみられます。

ものことの見方や自然観は、時代により変化するものであり、その背景をよく理解しておかなければ問題の本質を見誤ると思いました。科学技術の進展に伴ってものことの見方と自然観はより理性的な方向へと向かっていきますが、人の本性は容易には変化しないものだとも思いました。そして、言葉は人の意識の全てを伝えることはできないが、意識に大きな影響をおよすのも言葉なので、あらためて言葉を大切にしたいと思いました。

科学技術の力が指数関数的に増大する現代社会にあって、自分自身にどのような批判的精神を形成することができるだろうかと自問する日々です。貴重な時間をありがとうございました。


◉ 素晴らしい総括に瞠目しました。ありがとうございました。次回以降も参加を検討します。今後ともよろしくお願いいたします。


◉ 先日は、ありがとうございました。すっかり遅くなりましたが、感想です。

(1)デモクリトスは、タレスに始まる古代ギリシアの自然哲学者たちの最終ランナー的なイメージを持っていました。「なぜ高度な機器も無い時代に、原子論を発想できたのか」という疑問が解け、またデモクリトスが同時代人から受けた嫉視や狂人とみなされた、などのお話を聞いて血肉を帯びた人物に感じました。現代の科学者たちからデモクリトスが高く評されていることを知り、それらの書も読んでみたいと思いました。

(2)後日、カントのお話のメモを読み返したときに、キリスト教文化圏において神を前提とせずに理論構築してゆく壮大な営み、格闘であることをいまさらながら感じました。近代以降の科学者・哲学者たちは、日常生活のなかで実感するキリスト教文化や自身の信仰と、学問の真理を捻じ曲げたり抹殺したりするキリスト教の負の力とのはざまで、身の振り方を常に迫られていた気がします。講義の中で、カント生誕300年と伺ったので早速検索してみたところ、他にも興味深い講座が見つかりました。

(3)学生時代も今も、からきしダメな「体育」。でも体育学のお話は興味深かったです。素人の日常感覚で「え、これってオリンピックの種目なの?今ってそうなっているの?」と感じることがたびたびありましたが、その根源に関わる学問に触れることができました。単に、心身・健康問題にとどまらず、競技場建設といった箱物作り、経済振興政策とも結びつく因果を垣間見た気がします。エクササイズという視点から体育学発の読書の意味を考える「読書教育」、というお話も面白かったです。派生的な議論として参加者の方の読書体験(島崎藤村の『夜明け前』を読み、現地に行く=身体を動かすことで、作品世界の空間を実感できる)も刺激的でした。


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