16-FPSS



第16回サイファイフォーラムFPSS

ポスター


日時: 2026年3月14日(土)13:00~17:00

会場: 日仏会館 509会議室



〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿三丁目9番25号


会費: 一般 1,500円、学生 500円

(飲み物は各自ご持参ください)


プログラム

(1)13:00-14:00 矢倉英隆


    シリーズ「科学と哲学」⑩ ポパーによるプラトン批判(2)

 前回、プラトン哲学を厳しく批判したカール・ポパー(1902-1994)の論考『開かれた社会とその敵』を読みながら、ヒストリシズムについて考えました。今回はその2回目として、第5章「自然と協定」を読みながら、自然法則と人間が決めた法律や規範との根本的な相違とそれが内包する問題について考える予定です。



(2)14:0015:20 竹田 扇

    デカルトの医学論:機械論に基づいた⼈体の統⼀的理解

 「自らの身体をどの様に捉えるのか」という問いには人間存在の理解という根源的な知的欲求に加え、健康増進や病気の治療基盤の形成という実践的な目的も込められている。例えばルネ・デカルト (René Descartes, 1596-1650) は『人体の記述』(La description de corps humaine) 断章1の冒頭で後者の目的を明示的に語っている。さらにデカルトがこの両面において医学に大きな興味を抱いていた証拠を『方法序説』(Discours de la méthode, 1637) にも見出すことができる。

 幅広い読者に向けてフランス語で書かれた『方法序説』は学問への取り組み方 (方法論) を述べた小論としてよく知られている。さらに『序説』第5節、第6節には具体的に人体の探究に関する目論見が記述されており、それらは生前には『情念論』(Les passions de l’âme, 1649) に結実した。他方、より広く宇宙全体を扱う『世界論』(Le monde) の一部として用意された『人間論』(L’homme) はガリレオ・ガリレイ (Galileo Galilei, 1564-1642) の異端審問の影響を受けて公刊が延期され、デカルトの生前に出版されることはなかった。

 ところでデカルト医学に関する研究の歴史はフランス本国においてでも浅く、我が国に至ってはここ10年になってようやく翻訳が揃い始めた。演者らが2017年に公刊した『デカルト医学論集』(法政大学出版局) はその嚆矢であるといえる。さらに演者らはデカルトの『人間論』とそれに対する詳細な註解をつけたルイ・ド・ラ・フォルジュ (Louis de la Forge, 1632-1666) による浩瀚な論文(L’Homme de René Descartes et un Traitté de la formation d’un Foetus du même autheur. Avec les Remarques de Louis de La Forge, docteur en Medecine, demurant à la Flèche, Sur le traitté de l’Homme de René Descartes, et sur les Figures par lui inventées. À Paris, Chez Charles Angot,1664, 下図)の翻訳をつい先日終了した。 




 これらを仔細に検討するとデカルトの解剖学的記述は現代医学の視点から検討しても極めて精緻であり、時代を超越した眼差しと観察精度には驚嘆させられるところが多い。また現代医学の定説を予見していたかの様な記述も散見される。他方、超越的想像力から生まれた人体の機械論的解釈とこれに立脚した生理学的記述は現代医学とは大きく隔っている。この様な振幅が大きい思考がどう形成されたかを辿ることは人体観の歴史を語る上で無益ではなかろう。

 本講ではまずデカルト医学関連文献の全容、テクストの成立過程、その解釈や翻訳語の選択にあたっての思考過程を簡潔に提示する。これにより医学史上の位置付けが可能となる。更にこのスケッチに基づいて一連の訳業の中から、1. 形態と構造に関する観察・記述の解釈、2. 想像力が補ったミクロな構造の可視化とその通時性、3. 機械論的人体観と心身二元論の関係、に関して考察する。以上を通じてデカルトが医学の眼差しを通じて人間を理解しようとした足跡を辿り、人体観の形成に果たした役割の位置付けを試みたい。



(3)15:3016:50 白石裕隆

    「文(ふみ)以前」を“詩"索する、地質・文学・遺跡紀行-川端康成「東海道」を端緒として

 科学と哲学の融合を考える際、文献がある年代(ギリシア哲学~万葉集等)、文字に記された思考に拠るところがどうしても多くなる。しかし、この融合についての思索は、「文(ふみ)」によって制約されるべきものではない。他方、災害国・日本において、地学履修者が激減し、教育場面において地学教員は「絶滅危惧種」と語られる場面があり、教育における文系・理系の分断や、古文学習の実用性に対する疑問も聞き及ぶ。

 そこで、これら課題を一挙に解決する方策として、日本各地の地質と文学舞台を巡るとともに、社寺仏閣に止まらず、石器時代の遺物・遺構に触れる、標記のことを提案する。時は違えども、①その場・その物の雰囲気・印象から受ける体感や②古(いにしえ)への思いにより、文化的な創作動機や文による思索に何らかの影響があるものと期待される。

 このような課題意識と方法論の提案から、本発表では、以上のことを文学で体現したと感じられる、川端康成の随筆「東海道」の冒頭部分を朗読する(該当部分を配布)。同作品は、東海道の地質に触れつつ、街道を行き来した、古人(いにしえびと)に想いを寄せる、国文学者を主人公にした物語である。それから、当方が2025年に見聞した、次の4箇所を紀行ケーススタッディとして紹介する。

①震災津波遺構(岩手県・宮古市:田老):地質・防災・津波の物理をセットで考える。
②台東区立(樋口)一葉記念館とその周辺から:今の街中で名作誕生当時の明治を想う。
③松尾芭蕉ゆかりの地物から:石蛙とともに、今に囚われない短歌作り
④世界遺産・熊野路:地質・文化の路(みち)を巡り、意外なものと出会う。

 また、標題のことを実践する情報源として、次の4項目を紹介する(前記とともに資料配付)。

①平安行事(曲水宴)と茶の湯(江戸時代の茶人・小堀遠州公)の舞台:伝統芸能を体感する。
②石器時代の遺構・遺物:「典型的でない名所」旧跡から魅力を発掘する。
③全国の文学館、文学者の紀行文:実地と文で二重に名所を巡る。
④全国の薬草園・薬学資料館:今の薬に至る歴史を意識する。

 以上の実践を振り返り、記録として残すには、「旅日記」作成が思い付くが、三「回」坊主で終わりそうである。旅での見聞・印象を、文章にするより散文、散文より形式・分量が自由な“詩”にしてみることで、「散聞」と文字が紙面の空間で統合され、標題の”詩"索に繋がると期待する。紀行から詩、文の起稿へと、時空や実地・文字を自由に往来するひととき、スライドに風物写真を載せて紹介する、よろず萬遊ガイドとして気軽に聴いていただきたい。   



第16回FPSSに参加を希望される方は、以下まで連絡をいただければ幸いです。

連絡先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com)

よろしくお願いいたします。


















0 件のコメント:

コメントを投稿