第16回サイファイフォーラムFPSS
ポスター
日時: 2026年3月14日(土)13:00~17:00
会場: 日仏会館 509会議室
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿三丁目9番25号
会費: 一般 1,500円、学生 500円
(飲み物は各自ご持参ください)
プログラム
(1)13:00-14:00 矢倉英隆
シリーズ「科学と哲学」⑩ ポパーによるプラトン批判(2)
前回、プラトン哲学を厳しく批判したカール・ポパー(1902-1994)の論考『開かれた社会とその敵』を読みながら、ヒストリシズムについて考えました。今回はその2回目として、第5章「自然と協定」を読みながら、自然法則と人間が決めた法律や規範との根本的な相違とそれが内包する問題について考える予定です。
(2)14:00-15:20 竹田 扇
デカルトの医学論:機械論に基づいた⼈体の統⼀的理解
「自らの身体をどの様に捉えるのか」という問いには人間存在の理解という根源的な知的欲求に加え、健康増進や病気の治療基盤の形成という実践的な目的も込められている。例えばルネ・デカルト (René Descartes, 1596-1650) は『人体の記述』(La description de corps humaine) 断章1の冒頭で後者の目的を明示的に語っている。さらにデカルトがこの両面において医学に大きな興味を抱いていた証拠を『方法序説』(Discours de la méthode, 1637) にも見出すことができる。
幅広い読者に向けてフランス語で書かれた『方法序説』は学問への取り組み方 (方法論) を述べた小論としてよく知られている。さらに『序説』第5節、第6節には具体的に人体の探究に関する目論見が記述されており、それらは生前には『情念論』(Les passions de l’âme, 1649) に結実した。他方、より広く宇宙全体を扱う『世界論』(Le monde) の一部として用意された『人間論』(L’homme) はガリレオ・ガリレイ (Galileo Galilei, 1564-1642) の異端審問の影響を受けて公刊が延期され、デカルトの生前に出版されることはなかった。
ところでデカルト医学に関する研究の歴史はフランス本国においてでも浅く、我が国に至ってはここ10年になってようやく翻訳が揃い始めた。演者らが2017年に公刊した『デカルト医学論集』(法政大学出版局) はその嚆矢であるといえる。さらに演者らはデカルトの『人間論』とそれに対する詳細な註解をつけたルイ・ド・ラ・フォルジュ (Louis de la Forge, 1632-1666) による浩瀚な論文(L’Homme de René Descartes et un Traitté de la formation d’un Foetus du même autheur. Avec les Remarques de Louis de La Forge, docteur en Medecine, demurant à la Flèche, Sur le traitté de l’Homme de René Descartes, et sur les Figures par lui inventées. À Paris, Chez Charles Angot,1664, 下図)の翻訳をつい先日終了した。
これらを仔細に検討するとデカルトの解剖学的記述は現代医学の視点から検討しても極めて精緻であり、時代を超越した眼差しと観察精度には驚嘆させられるところが多い。また現代医学の定説を予見していたかの様な記述も散見される。他方、超越的想像力から生まれた人体の機械論的解釈とこれに立脚した生理学的記述は現代医学とは大きく隔っている。この様な振幅が大きい思考がどう形成されたかを辿ることは人体観の歴史を語る上で無益ではなかろう。
本講ではまずデカルト医学関連文献の全容、テクストの成立過程、その解釈や翻訳語の選択にあたっての思考過程を簡潔に提示する。これにより医学史上の位置付けが可能となる。更にこのスケッチに基づいて一連の訳業の中から、1. 形態と構造に関する観察・記述の解釈、2. 想像力が補ったミクロな構造の可視化とその通時性、3. 機械論的人体観と心身二元論の関係、に関して考察する。以上を通じてデカルトが医学の眼差しを通じて人間を理解しようとした足跡を辿り、人体観の形成に果たした役割の位置付けを試みたい。
(3)15:30-16:50 白石裕隆
「文(ふみ)以前」を“詩”索する、地質・文学・遺跡紀行-川端康成「東海道」を端緒として
科学と哲学の融合を考える際、文献がある年代(ギリシア哲学~万葉集等)、文字に記された思考に拠るところがどうしても多くなる。しかし、この融合についての思索は、「文(ふみ)」によって制約されるべきものではない。他方、災害国・日本において、地学履修者が激減し、教育場面において地学教員は「絶滅危惧種」と語られる場面があり、教育における文系・理系の分断や、古文学習の実用性に対する疑問も聞き及ぶ。
そこで、これら課題を一挙に解決する方策として、日本各地の地質と文学舞台を巡るとともに、社寺仏閣に止まらず、石器時代の遺物・遺構に触れる、標記のことを提案する。時は違えども、①その場・その物の雰囲気・印象から受ける体感や②古(いにしえ)への思いにより、文化的な創作動機や文による思索に何らかの影響があるものと期待される。
このような課題意識と方法論の提案から、本発表では、以上のことを文学で体現したと感じられる、川端康成の随筆「東海道」の冒頭部分を朗読する(該当部分を配布)。同作品は、東海道の地質に触れつつ、街道を行き来した、古人(いにしえびと)に想いを寄せる、国文学者を主人公にした物語である。それから、当方が2025年に見聞した、次の4箇所を紀行ケーススタッディとして紹介する。
①震災津波遺構(岩手県・宮古市:田老):地質・防災・津波の物理をセットで考える。
②台東区立(樋口)一葉記念館とその周辺から:今の街中で名作誕生当時の明治を想う。
③松尾芭蕉ゆかりの地物から:石蛙とともに、今に囚われない短歌作り
④世界遺産・熊野路:地質・文化の路(みち)を巡り、意外なものと出会う。
また、標題のことを実践する情報源として、次の4項目を紹介する(前記とともに資料配付)。
①平安行事(曲水宴)と茶の湯(江戸時代の茶人・小堀遠州公)の舞台:伝統芸能を体感する。
②石器時代の遺構・遺物:「典型的でない名所」旧跡から魅力を発掘する。
③全国の文学館、文学者の紀行文:実地と文で二重に名所を巡る。
④全国の薬草園・薬学資料館:今の薬に至る歴史を意識する。
以上の実践を振り返り、記録として残すには、「旅日記」作成が思い付くが、三「回」坊主で終わりそうである。旅での見聞・印象を、文章にするより散文、散文より形式・分量が自由な“詩”にしてみることで、「散聞」と文字が紙面の空間で統合され、標題の”詩"索に繋がると期待する。紀行から詩、文の起稿へと、時空や実地・文字を自由に往来するひととき、スライドに風物写真を載せて紹介する、よろず萬遊ガイドとして気軽に聴いていただきたい。
第16回FPSSに参加を希望される方は、以下まで連絡をいただければ幸いです。
連絡先: 矢倉英隆(she.yakura@gmail.com)
よろしくお願いいたします。
会のまとめ
まず、年度末のお忙しいところ、お集まりいただいた皆様に感謝したい。以下に各発表をまとめるが、詳細は発表スライドなどの資料を参照していただければ幸いである。
(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑩ ポパーによるプラトン批判(2)<発表スライド>
「科学と哲学」シリーズは今回で10回目を迎えたことになる。このシリーズはその目的を、① 自然について考えた哲学者、科学について省察した哲学者の歩みを見直すことにより、哲学史・科学史を振り返ること、② 科学と哲学の関係を振り返ることにより、「新しい知」の在り方を構想することとして始めたものである。これは、人類の知を原初から紐解き、根源的で全一的、有機的で躍動的な知の在り方を模索するというサイファイ研ISHEを貫く方針とも合致する。
今回も前回に引き続き、プラトン(427–347 BCE)に対するカール・ポパー(1902–1994)の激しい批判を通して見えてくるプラトン哲学の特徴について考えることにした。具体的には、ポパーの『開かれた社会とその敵』第1巻プラトンの呪縛、第5章自然と協定を読んだ。1937年、ナチの脅威を感じたポパーはニュージーランドへ移住。1938年3月13日にヒトラー(1889–1945)が祖国オーストリアを侵略したことを知った日に本書の執筆を決め、1942年に書き終えた後も1943年まで修正を進め、1945年にRoutledgeから刊行された。ドイツ語版第7版への序には、開かれた社会についてのポパーの見解が書かれている。 西洋の開かれた社会は、・・・人類の歴史においてずば抜けてすぐれた、もっとも自由な、もっとも公正かつ、もっとも正義にかなった社会である。たしかにまだすべての人に対して、機会の均等および正義が達成されたわけではない。だが西洋においては、われわれの理想、すなわち、平和、自由、正義、そして機会均等に近づこうとする努力がたえずなされてきた。
その上で、以下のような社会を擁護するために本書を書いたとしている。それは、① 普通の市民が平和で信頼できる友人関係の下で生きられる社会 ② 自由が高い価値を持つ社会 ③ 責任をもって考え、行動できる社会 ④ 決して軽くない責任という重荷を喜んで担う社会であった。このような社会を養護することは、偉大な人間、あるいは人間を超えた権威に我々の精神的な独立を捧げ、従属するという悪弊を絶つことを意味していたのである。
前回問題にされたヒストリシズム(歴史主義)について簡単にまとめておきたい。プラトンには本質主義があり、真に「知る」こと(エピステーメー)とは、変化する現象の背後にある不変の本質を知ることである。プラトンの場合、その本質はイデアに他ならない。国家の本質もまた、原初に想定された理想国家にあり、国家の歴史とはこの本質からの逸脱、すなわち「腐敗」のプロセスである。プラトンのヒストリシズムとは、原初の善なる理想状態から、時間の経過とともに必然的に悪へと変容・衰退していくという歴史法則を指している。
これに対してポパーは、第1に、人間の知識は絶えず更新され、その知識が未来を左右するため、歴史の展開をあらかじめ規定するような法則は存在し得ないこと、第2に、歴史法則を信じることは、「歴史の必然」という大義名分のもとに個人の自由な選択や批判を封殺することに繋がり、必然的に全体主義を招来することを根拠にプラトンのヒストリシズムを批判する。
ポパーは、「閉じた社会」と「開かれた社会」の特徴を次のように整理する。まず、「閉じた社会」においては、呪術的態度(タブーや掟、慣習を、自然の規則性と同様に変更不能とみなす態度)が顕著であり、「自然法則」(避けることのできない必然)と「規範としての法律」(人間が変えうる決まり)が未分化な「素朴一元論」の形態をとる。この素朴一元論は、さらに2つの傾向に分類される。第一は「素朴自然主義」で、これは規則性(掟)は事物の不変の本質から生じており、それを変更することはその存在そのものを否定することになると考える。第二は「素朴慣例主義」で、これは規則性は神々や超自然的な力によって決定されたものであり、それゆえに人間が勝手に変更することは許されないが、神の意志としては変更可能であると考える。
これに対して「開かれた社会」への歩みは、異なる部族との接触を通じて、タブーや掟が場所により異なり、人間自身が作り上げたものであるという事実に直面することから始まる。ここで、避けられない物理的な「自然法則」と、人間の意志によって変更可能な「規範としての法律」が明確に分離されることになる。これは「批判的二元論」あるいは「批判的協定主義」と呼ばれる立場である。この段階において、法律や道徳はもはや神や自然のせいにはできず、人間が自らの理性によって批判的に吟味し、その採否に自ら責任を負うべき対象へと変容するのである。
自然は盲目的な事実と物理的な規則性によって成立しており、そこに道徳が入り込む余地はない。しかし、自然は我々に、世界を予測・変革し、未来を設計する能力を与えた。この能力こそが、人間を「決定を下し、その結果に責任を負う唯一の主体」へと押し上げたのである。つまり、決定と責任がそこに登場するのである。
ポパーは、素朴一元論から批判的二元論に移行する間に見られる中間段階として、以下の3つを挙げている。
① 生物学版自然主義: 生物学的事実(弱肉強食や生存本能)をそのまま社会の道徳的根拠とする立場で、自然界の「力」を「正義」と混同している。
② 倫理的・法的実定主義(法実証主義=Positivismus): 主権者の意志や正当な手続きを経て成立した現行の法をそのまま「正しいもの」(正義)と見なす立場で、法の外側にある批判的基準を欠いている。
③ 心理学主義的・精神版自然主義: 前二者の一面性を克服しようとして、人間の精神的本性や心理学的法則の中に、普遍的な道徳の根源を求める立場だが、これもまた「本性」という名の下に規範を自然化している点では、真の二元論(批判的協定主義)には至っていない。
これらの立場はいずれも、人間が自分で決めるという重い責任から逃げている状態で、「自然がそうだから」「法律が・・」「人間の本性が・・・」という逃げ道を用意しているとも言えるだろう。ここで、それぞれの立場をもう少し詳しく見ていきたい。
(1)まず、
生物学版自然主義だが、初期には対立する2つの流れがあった。まず
、強者の支配を正当化する流れで、詩人ピンダロス (522/528-442/438 BCE) は「法は万物の王」と謳い、強者が支配者となることを自然の使命と見なした。ポパーは彼を、この考え方の最初の提唱者であるとしている。これに対して、人道主義的な自然主義の流れがある。例えば、ソフィストのアンティポンは、自然においては全人類が同等の権利を持つことを強調。外部の規範(法)を恣意的であるとし、避けることのできない「自然の平等」と対置させた。詩人のエウリピデス (c. 480-c. 406 BCE) は、奴隷は名前以外のすべての点で自由人に劣るところはないと述べ、身分の壁を否定した。そして、ソフォスとのアルキダマス (Alcidamas, 4th century BCE) は「神はすべての人に自由を贈り、自然は何人も奴隷とはしなかった」と宣言し、自然を根拠に普遍的な自由を求めた。
生物学版自然主義に対するプラトンの立場は、人間は生物学的にも道徳的にも本質的に不平等であるとするもので、ギリシア人と野蛮人(バルバロイ)の差異を「自然な不平等」と見なし、それが主人と奴隷という社会秩序の正当な根拠になるとした。そこに、プラトンのギリシア人選民意識が透けて見えるようである。これに対して、次のような批判が出されている。
第1に、「自然に即して生きる」ことを理想とするが、そもそも「自然」を論じるための科学的・芸術的関心そのものが非自然的な(文化的な)営みである。この論理を突き詰めれば、文明を否定し、人間を粗暴な野性の状態へと退行させる危険性を孕んでいる。
第2に、健康条件などの自然法則から直ちに道徳的規範を引き出せると信じるのは誤りである。人間は単なる生物学的生存(パン)のみに生きる存在ではなく、自然法則を超えた次元で自らの価値と責任を決定する自由を有している。
(2)倫理的・法的実定主義(法的実証主義)には、以下のような特徴と限界が見られる。
① 規範の事実化: 規範を「現に社会に実在する法(実定法)」へと還元し、それ以外の超実定的な価値(自然法や個人の良心)を排除する。
②「存在」と「善」の混同:「現に存在するもの」を「あるべきもの」と同一視する。その論理的帰結として、権力や強制力を持つものがそのまま「正義」と見なされる危うさを持つ。
③ 批判的理性の放棄: 個人が社会規範の是非を判断することを「主観的な誤解」として退け、法を無批判に受容すべき「客観的事実」へと格下げする。
④ 権威主義と人間不信: その本質は、既存の秩序を絶対視する保守性にあり、自らの足で歩もうとする人間の創造性や、規範を更新し続ける知の可能性に対する深い不信が横たわっている。
(3)心理学主義的・精神版自然主義は、生物学版自然主義と法的実定主義の一面性を批判して統合しようとしたものである。生物学版自然主義に対しては、人間は単なる生存(健康や睡眠)のみならず、精神的・高次な目標を追求する存在であることを認めるべきであると批判し、法的実定主義に対しては、法は単なる恣意的な約束事ではなく、人間の内面的な心理構造の現れであると捉えるべきであるとする立場である。ポパーはこの見方を、道徳や正義の根拠を「人間の不変の本性」に求めており、自らの意志で規範を合意(協定)、修正していくという開かれた社会の責任を回避しているとして批判している。
ここで、プラトンの自然主義についてまとめておきたい。古代ギリシアには、「法」や「国家」は自然に由来するのか、人間が取り決めたものなのかという対立があった。プラトンの回答は自然主義的なもので、自然(イデア的本質)に根源を置くものであった。彼にとって、真の法とは人間の恣意的な約束事ではなく、不変の自然秩序(イデア)の模倣でなければならなかった。本来、人間が設計した人工物であるはずの国家を、人間の魂の構造に由来する「自然の秩序」へとすり替えたことにより、社会制度は「変更可能な協定」から「侵すべからざる自然の摂理」へと変質したのである。これは、現代の超自然を否定する自然主義とは正反対で、目に見える社会制度の背後に、超自然的なイデア的自然(真の本質)を認め、それを根拠に現実を固定化するという形而上学的な自然主義である。
プラトンのヒストリシズムについても簡単にリキャップしておきたい。プラトンにとってものことを理解するとは、流動する現象の背後にある不変の「本質」(イデア)を把握することである。国家を理解する場合、その本質は、時間の汚染を受ける前の原初にあった理想国家に置かれる。歴史とは、この理想からの「逸脱」であり、「腐敗」(退化)の過程に他ならないので、この腐敗に向かう流れを食い止めるために、社会の固定化に政治活動が集約されることになる。この「下降と腐敗の法則」を生物界に当てはめれば、最上階層に「イデアに最も近いコピーとしての存在」(善)としての人間が置かれ、そこからの変容は「悪」と見なされる。これは、進化の系統樹の下位に位置する生物を「腐敗したコピー」と見る人間中心主義的立場につながるが、現代でも一定の力を持っていると見ることはできないだろうか。
(2)竹田 扇: デカルトの医学論: 機械論に基づいた⼈体の統⼀的理解
竹田氏の発表は、以下の構成で行われた。
はじめに
(1) デカルトの医学⽂献: テクスト成⽴過程
(2)機械論的⼈体観の成⽴:⼼⾝⼆元論
(3)直感がもたらしたもの:神経科学への架け橋
(4)デカルト医学の射程:近代医学の基盤
(5)世界のとらえ⽅について:科学の在り⽅とは
「はじめに」では、簡単な自己紹介と、
デカルト(1596–1650)の『
人間論』に興味を持った経緯が語られた。中学生の時に読んだ『
方法序説・情念論』(野田又夫訳)の中にその記述があり、いずれ読みたいと思ったことが切っ掛けで、約40年を経たこの2月に、その願望が『
⼈間論.付)ラ・フォルジュ『注解』』(山田弘明、竹田扇訳)として結実したことになるとのことであった。
(1) デカルトの医学⽂献: テクスト成⽴過程
まず、デカルトの人生が概観された。1596年にアンドル=エ=ロワール県のラ・エー(La Haye)に生まれた。父は法服貴族であった。1606年、ラ・フレーシュ(La Flèche)学院に入学。1614年にはポワティエ大学に進み、法学を修めた。その後、世間という大きな書物の中に入る。1618年、オランダで軍隊に入隊。1623~1625年にはヴェネツィア、ローマを旅する。1628年からオランダでの隠遁生活に入る。これは『方法序説』にもある通り、便利さを欠くことなく、孤独な隠れた生活を送ることができるためであった。20年余の隠遁生活の間に、『方法序説』(1637)、『省察』(1641)、『哲学原理』(1644)などの主要著作を発表している。個人的な話になり恐縮だが、わたし自身のパリ生活が長くなるにつれ、デカルトの隠遁生活と重ねるように過ごしていた記憶がある。そして、1649年にスウェーデンのクリスティーナ女王(1626–1689)に招かれ、隠遁生活に終わりを告げる。わたしの場合は、新型コロナのパンデミックがその役を担ってくれた。そしてデカルトは厳しいストックホルムの冬がたたったのか、翌1650年に客死することになった。
デカルトはポワティエ大学で学んでいた時に医学と関わりを持ったと考えられる。その後オランダにおいて、医学者ヴォピスクス・フォルトゥナトゥス・プレンピウス(Vopiscus Fortunatus Plempius, 1601–1671)と人体をどう理解するのかという問題意識をもって交流した。当初は良好な関係だったが、ウィリアム・ハーヴィー(1578–1657)の血液循環説――心臓の運動と血液循環の解釈――を巡って対立したという。デカルトが、心臓の運動は熱による血液の膨張によって説明でき、血液循環は物理的プロセスであるとしたのに対し、プレンピウスは心臓自体の収縮が血液を押し出すとし、生命特有の力(生命原理のようなものか)を認めた。プレンピウスはデカルトの機械論的世界観では豊かな生命を十分に理解できないと考えたのではないかと想像される。現代まで優勢であった機械論に対して、常に懐疑の目を向ける見方が存在している。それはデカルトとプレンピウスの対立に象徴され、いまも生きていることを示唆しており、これからも続くものと想像される。
デカルトの主要な医学関係の著作として、『動物発⽣論』『解剖学提要』(1628–1632)、『⼈間論』(L.1662/F.1664)、『⼈体の記述』(成稿1648/刊行1664)、『情念論』(1649)がある。この中の『人間論』(ラテン語版とフランス語版)は1633年頃に執筆されたが、同年のガリレオ・ガリレイ(1564–1642)に対する宗教裁判を受け、生前の刊行は断念。『人体の記述』も遺稿として刊行された。
(2)機械論的⼈体観の成⽴:⼼⾝⼆元論
この領域における第一人者アニー・ビトボル=エスペリエス(Annie Bitbol-Hespériès)によれば、デカルトの医学思想は『⼈間論』に始まり、ハーヴィーの⾎液循環説後の『⽅法序説』第5部から『省察』『哲学原理』を経て、『情念論』『⼈体の記述』に⾄るまで発展し続けていたと見ている。『人間論』はデカルトが完成させたものではなく(自筆手稿は残っていない)、その断⽚をデカルトに心酔していた
クロード・クレルスリエ(
Claude Clerselier, 1614–1684)が編纂したものである。彼がいなければデカルトの哲学は今日のようには理解されなかったと言われるほど重要な人物で、このような機会に我々の前に現われてくれたのは幸いであった。
第1章 ⼈間機械論: ヒトを機械に⾒⽴ててその動作機構を説明する。
第2章 運動の原理:筋⾁と神経の関係を動物精気を介在させて説明する。
第3章 外部の感覚:いわゆる五感が⽣ずる機作に関して説明する。
第4章 精神の機能:喜怒哀楽が⽣ずる機作に関して説明する。
第5章 神経科学論:脳や末梢神経系の動作機構をミクロのレベルで説明する。
ここで具体的に紹介されたのは、松果腺を例にとった機械論的説明であった。
(4)デカルト医学の射程:近代医学の基盤
デカルト以前(中世〜ルネサンス期)の支配的な考え方では、人体は宇宙(マクロコスモス)の縮図、すなわちミクロコスモス(小宇宙)であると見なされていた。天体と人体が照応しているとか、生命活動に生気のような目に見えない力が関与しているといった考え方である。デカルトはこの見方を破棄し、徹底的に機械論的に説明する道を選んだ。心身二元論により、世界を「考えるもの(精神)」(res cogitans)と「広がりを持つもの(物質)」(res extensa)に分け、身体を物理法則に従う物質に割り振ったのである。これによって、神学や形而上学から独立した形で近代自然科学が歩みを始めたことになった。竹田氏によれば、デカルトの思考は観察力と文献的な考察に直観が乗じて生まれたものではないかとのことであった。さらに歴史的に振り返れば、アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius, 1514–1564)の『ファブリカ』(1543)によって⼈体の空間的構成が確立されていたからこそ、デカルトの『人間論』『人体の記述』によって機能的存在論が確立され、それが近代医学(病院医学、病理解剖)へとつながったと見ることはできないかという問題提起をされた。
(5)世界のとらえ⽅について:科学の在り⽅とは
最後に、デカルトから始まるとも言われる近代科学であるが、その見方に問題はないかという疑問が提示された。デカルトは世界の理解は形而上学を排除した科学の形態を取るべきだとしたが、それでよりよい世界の理解は可能なのかという疑問である。極端な主張は、科学がすべてを解決するという科学主義になるだろう。しかし、科学はあくまでも世界の部分を切り取って暫定的な「真理」を所有するもので、世界の全体を理解することはできない。それをするのが形而上学だと哲学者は言うが、形而上学には証明がないため唯一の真理には至らない。そこで考えられる道は、科学知を取り入れ、それを前提としながら形而上学的考察を加えるというものであり(「科学の形而上学化-MOS」と称している)、サイファイフォーラムFPSSが試みていることである。発表でもFPSSの位置づけが問題にされたが、この場をどのように生かしていくのかは、これからも大きな課題であり続けるだろう。
(3)白石裕隆: 「文(ふみ)以前」を“詩”索する、地質・文学・遺跡紀行-川端康成「東海道」を端緒として
科学と哲学の融合を考える際、文字に記された思考に頼るだけではなく、それ以前の文字に制約されない思索が必要となるという。その背後には、学問(科学・哲学・文学)が文字に記された思考に依存しているが、本来の思索はある場所における身体的経験や感覚にも依拠すべきではないかという考えがある。また、昨今の教育における文理の分断や実用性への依存も顕著になっている。これらの問題に対処するための方法論として、日本各地の地質的風景と文学舞台を巡り、社寺仏閣だけではなく、石器時代の遺物・遺構に触れ、その時に浮かび上がる感覚や思いを掬い上げる試みを行った。本発表は、「文以前の思索を文学として体現した例」になると考えた川端康成の『東海道』の朗読から始まった。
その後、実際に訪問した ① 震災津波遺構(岩手県宮古市田老)、② 台東区立一葉記念館、③ 芭蕉関連の地物(江東区芭蕉記念館)、④ 世界遺産の熊野古道での体験が紹介された。さらに、①平安行事(曲水の宴)と茶の湯の舞台(小堀遠州)に身を置き、伝統芸能を体感する、② 石器時代の遺構や遺物に触れ、「典型的ではない」ところから魅力を発掘する、③ 全国の文学館や文学者の紀行文に触れ、文学と実際の土地を併せて経験する、④ 全国の薬草園や薬物資料館を訪問し、今に至る薬の歴史を意識するという実践についても紹介された。
これらの試みから言えることは、ある場所に身を晒した時に思考が生まれるということで、その内容をどう表現するのかがその後に続くことになる。本発表における主張は、それを散文でまとめるのは不十分であり、形式がより自由で、「散聞(体験)」と「文字」が統合される詩による表現を求めるべきではないかというものであった。 日常の空間における文字と対峙する哲学から、外に出た時の経験を多面的に取り込んで哲学するという方向への移行を説いているようであった。この方向性も「科学の形而上学化-MOS」の一つのやり方を示しているようで、今後どのような展開を見せるのか興味深いものがある。
本発表に関連する情報が以下の通り提供されています。参考にしていただければ幸いです。
参加者からのコメント
◉ 3月14日の第16回サイファイフォーラムに参加させて頂きありがとうございました。毎回、新たな知識、視点を学ばせて頂き、意見を述べさせて頂き誠に感謝しています。一般人として、専門家の先生方に素直な意見や感想を述べる機会は中々ないので、私的には矢倉英隆先生の主催する哲学の講座は本当に知的で有意義な会として有難い存在となっております。今回も、三者の先生方、矢倉英隆先生、竹田扇先生、白石裕隆先生の発表時に、初めて知ることへの驚きと、面白さに、何度か発言をさせて頂きました。人間の歴史に刻まれた知の継承と批判は現代に生きる生身の人間として、過去から学び、今ある世界の潮流や国家に対するものの見方に新たな発芽をみるような驚きを感じます。自らの知識の無さを思いながら、プラントンやデカルト、川端康成の著書を改めて手に取ってみたいと思っている今日この頃です。ありがとうございました。
◉ 矢倉先生のホッパーによるプラトン批判(2)では以下のような感想を持ちました。プラトンとポパーの思想には、それぞれの時代の社会的な危機や混乱が反映されていて、やはり人間は社会的生き物なのだいうことを改めて思いました。プラトンの自然主義はイデアに根源を置き自然の秩序に従うことを、ヒストリシズムについては理想社会(イデア)を想定しそこからの逸脱を防がなければならいとして、理想からの現実の逸脱をなくすことが眼目でした。イデアを起源として社会の秩序や発展の法則を見出そうとする本質論な思考方法だと思います。
一方、ポパーは人間の知識の発展や行動を予測することは不可能で、従ってここから歴史的な法則を見出すことなどできない。そして、プラトンのヒストリシズムは歴史法則を理由に個人の自由を束縛する恐れのある全体主義につながる。科学的な思考方法で、プラトンの自然主義やヒスリシズムを批判しています。しかし、ポパーの「開かれた社会」もまた一つの理想社会だと考えられます。確かに開かれた社会にむけた歩みは間違いなく進んでいるようにみえますが、相変わらず国家間では、自らの正義と倫理をぶつけ合い、世界中で紛争が続いています。さらに、全体主義国家のみならず民主主義国家の内部にも「閉じた社会」は数多く存在し、この理想の実現にはまだ遠い道のりがあることが現実社会がよく示しています。理想社会に向かうためには、ポッパー提唱するように、漸進的で可逆的な積み重ねを継続するしか方法はないと思いますが、プラトンの自然の法則にも、人間がたどってきた進化の過程と行動とを考えるとき、捨て去るわけにはいかない自然法則が含まれている気がしてなりません。
竹田先生のデカルトの医学論については、デカルトの解析幾何学やデカルト座標系は一般の我々にもなじみが深いのですが、医学的な背景はよく知られていなかったようで、少なくとも私はほとんど知らなかったので、解剖学がご専門でもある竹田先生からみたデカルトの医学的な側面は大変に興味深いものでした。なぜデカルトが松果体を研究対象に選んだかについての質問があり、はっきりした結論はなかったように思いました。そこで、帰りの電車の中で考えてみたのですが、まず、目は外部からの情報を圧倒的に多く受け取る器官であることは当時でも認識されていたと考えられます。つぎに構造的には、目は頭部の前面に二カ所に配置されていて、二つの目からの情報は松果体で一カ所に集められます。そして集合された情報は神経を介して左右に分割された脳に連結されます。このあたりの構造が解剖所見で明らかであったかどうかはよくわかりませんが、目からの外部の情報は松果体で一つに集合され神経を介して左右の脳に繋がっている。このことから、松果体が体の重要な器官であると認識したからではないかと推定しましたが、間違っていたら修正をお願いします。そして、同時に、神経の構造やその機能を推察するデカルトの頭脳はやはり素晴らしいと思いました。
デカルトの心身二元論(精神は思考するが延長を持たない、身体は延長を持つが思考はしない)はよく知られています。発表の中でデカルトの考えが二元論から一元論へと考えが逡巡していたというといお話がありましたので、その理由について質問させていただきました。それは、エリザベート女王がデカルトの心身二元論の矛盾(多分、精神の延長性)を指摘し、それに対してデカルトが合理的な根拠を示せなかったことがその要因であったということでした。また、エリザベート女王が当時すでに著名な哲学者であったとの補足をしてくださいました。それを聞き、エリザベート女王の指摘は、心身二元論の転換をもたらす重要な出来事ではなかったのかと思い驚きました。エリザベート女王の指摘に対して、デカルトが内心では一元論が妥当であると思ったかどうかよくわかりませんが、それが心身二元論に対する本質的な指摘であったから、その後のスピノザの心身一元論への移行へつながったのではないかと想像しました。そして、現在の心身一元論の「意識」の問題へと引き続いてきていることを思うと、それらの端緒のような問題提起をしたエリザベート女王がとても理知的で聡明な方に思えました。
最後に、科学(医学)と社会との関係性について考えを示していただきました。これは科学の形而上学化を考えるうえで重要なテーマであると思います。医学は、特に生命と病気にかかわる問題を扱うことから、社会からの医学(科学)に対する期待(願望、要請)は過大になりがちなことはこれからも避けがたいことと思います。基本的には医学の社会に対する誠実な姿勢と倫理観そして医学の側からの社会への積極的なコミュケーションによる実情の理解への努力が必要ではないかと思いました。
白石氏の「文以前」を“詩”策するではこんなことを感じました。科学と哲学の融合を考える。いきおい文字の情報に比重がかかっている。AI時代の昨今は、情報は居ながらにして易々と手に入れることができる。しかし文字の知識だけに縛られてしまいたくない。知識だけでは空虚だ。知識からだけでは得られないものことの本質を知りたい。現場へ足をはこび自分の耳目でその実態を確かめ本質に迫る。例えば、有史以前の地層から時空を超えて地殻の変動を想像しながら自らの感性を刺激する。誰もが一度くらいはそんな行動をとりたいという願望が頭をかすめる。しかし、実際の行動に移すには“自らを押す力”がいる。白石氏を揺り動かすパッションはどこから生じているのだろうと感心しながら拝聴しました。
貴重な時間をありがとうございました。
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