8-FPSS



第8回サイファイ・フォーラム FPSS




日 時: 2023年3月4日(土)13:10~17:00
(部屋は13:00から開いています)

会 場: 恵比寿 カルフール C会議室


渋谷区恵比寿4-6-1
恵比寿MFビルB1

参加費: 一般 1,500円、学生 500円
(コーヒーか紅茶が付きます)


プログラム

(1)13:10~14:00 矢倉英隆

シリーズ「科学と哲学」② ソクラテス以前の哲学者-2

(2)14:00~15:30 久永真市

遺伝子と個性

(3)15:30~17:00 市川 洋

「人間の基本的な在り方」と「科学の在り方」


要 旨

(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」②ソクラテス以前の哲学者-2

 前回、イオニアで新しい思考が生まれた背景について疑問が出されました。今回は初めに、タレス(c.624 BC-c.546 BC)が生きた時代背景を再検討し、「なぜタレスだったのか」について考えます。それから、「四元素説」を唱え、最後はシチリア島エトナ山の火口に飛び込んだと言われるエンペドクレス(c.490 BC-c.430 BC)を取り上げ、彼の思想を振り返ります。


(2)久永真市: 遺伝子と個性

 最近世界人口が80億人を越えた。80億の人は同じような体の造りをしているが、同じ人はいない。全ての人にはその人固有の容姿、性格、思考などがある。それが個性ならば、80億の個性があると言える。一方、ヒトの体の造りはヒトゲノム(遺伝子と言い換えることもできる)によって決められている。ヒトゲノムはヒトに共通であるが、人毎にわずかな違いも存在する。姿形は遺伝子によって決められているかもしれないが、性格や思考はどうであろうか? 遺伝子によって人の個性はどこまで説明できるかを考えてみたい。


(3)市川 洋: 「人間の基本的な在り方」と「科学の在り方」

 私は、理学部学生であった4年間、大学の茶道部に所属していました。そこは、一般の大学茶道部と異なり、故久松真一先生(1889年-1980年、仏教哲学者、著書:「東洋的無」、「茶道の哲学」他、「昭和の維摩居士」と呼ぶ人がいます)のご指導の下、「人間の基本的な在り方」に目覚めることを目指す禅の修行としての茶道を学ぶところでした。学部卒業後は、大学院に進学し、理学博士の学位を取得した後、鹿児島大学水産学部に26年間、海洋研究開発機構に10年間勤務し、主として黒潮と大気海洋相互作用に関する海洋観測研究をおこないました。この間、子供たちの理科離れに危機感を抱き、日本海洋学会教育問題研究会などを基点に、海洋学の普及活動を始めました。その中で、科学とは何か、科学と社会のつながり、科学者の社会的役割、理科教育の在り方などを考えるようになりました。最近では、海洋科学コミュニケーション活動を通して、人々が「豊かな想像力」を涵養するのを支援し、何事にも囚われない「オープンマインド」の精神を広めたいと考えるようになりました。

 今回の発表では、故久松先生の「人間の基本的な在り方」についてのお考えをご紹介するとともに、「人間の基本的な在り方」と「科学の在り方」の関係、科学の営みと性質、科学と社会をつなげる科学コミュニケーション、他について、海洋学研究者として日ごろ考えていることをお話したいと思います。ご批判とご助言を宜しくお願いします。


会のまとめ




最初に、週末のお忙しいところ参加された皆様に改めて感謝したい。お陰様で興味深いテーマについて活発な議論が展開した。主宰者として、時間内に終わるのかどうかを心配しなければならないが、それもよしとしなければならないだろう。以下に、わたしの視点から見た会の内容を簡単に纏めておきたい。


(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」②ソクラテス以前の哲学者-2(発表スライド

今回は、前回出された疑問について考えた後、エンペドクレスの哲学と宇宙論について振り返ることにした。まず、アリストテレス(384 BC-322 BC)により最初の哲学者とされたタレス(c.624 BC-c.546 BC)が、なぜ世界を一つの原理(アルケー)によって説明するという思考をすることができたのかという問いに答えるため、当時の社会状況、文化的背景について、主にアンドレ・ボナール(1888-1959)の『ギリシア文明史』をもとに検討した。

古代ギリシア人は自然(ピュシス)の中に、何か本質的なもの、原理的なもの、始原(アルケー)を見ていた。それを求めた思索が行われていたと考えられる。紀元前7、6世紀のイオニアでは長く厳しい階級闘争が行われ、農民、職人、商人、船主、船乗りなどの中で、船乗りを味方につけた商人が頭角を現した。この地には多様な思想や重要な研究が集積していた。この間、発明に対する衝動が生まれ、その結果得た知的自由、行動の自由が貨幣、銀行、科学を発明することになった。航海術と神殿建設のための幾何学の発明は特筆に値する。

タレスは、船が積み荷を無事に届けるために必要となる大気現象を研究した。科学の起源における目的は「役に立つこと」であった。彼は、それまで神と同一視されていた星を自然の物体として見なした最初の人であった。なぜタレスが、現代の科学にも通じるような思考をしたのかという問いに対する現段階での答えだが、そのような思考を促す状況は揃っていたのは事実だが、タレスという個人の特質によるとしか言いようがない。

2番目の話題はエンペドクレスの哲学と宇宙論であった。まず、この世界は水、火、空気、土という4つの根<リゾーマタ>から成るとする四元素説がある。ミレトス派とは異なり、唯一のアルケーではこの世界は説明できないと考えたのである。さらに、これらの4つのリゾーマタの離合集散を決しているのが、「愛」(フィリア=ピリア:Love)と「争い」(ネイコス:Strife)という2つの永遠の力で、そこで出来上がるのが生物を含めた世界のすべての存在である。自身の思想は 『浄め』(カタルモイ;Purifications)と 『自然について』(ペリ・ピュセオース;On Nature)としてまとめたが、残っている詩は450行だけ。前者は神秘主義的で、後者な現在あるものの起源を理性的に書いており、宗教(mythos)と科学(logos)の間を揺れ動いた人物と考えられている。

エンペドクレスの四元素説は、ヒポクラテス(c.460 BC-c.370 BC)の四体液説(黄胆汁—火、黒胆汁—土、血液—空気、粘液—水の割合が健康と病気を決めている)やアリストテレスの「熱・ 冷」「湿 ・寒」 の組み合わせにより世界は構成されるとする説などにも影響を与えた。このように4つの要素により世界や我々の体の状態を説明するというやり方がその後2,000年にも及び、西欧で引き継がれることになった。


(2)久永真市: 遺伝子と個性―遺伝子は個性をどこまで説明できるか?―(発表スライド

最初に、生物学の基礎的な知識についての説明があった。それから、テーマとなる「個性」の定義を調べたが、コンセンサスには至らないという。この発表では、それぞれの⼈が持つ固有の特徴〜個体差、個⼈差を個性とし、具体的には① 形態ー容姿 など、② 能⼒ー運動能⼒、学習能⼒など、③ 嗜好、感情、思考などを指標に遺伝子の関与を検討する。

① 形態の違いと遺伝子の関係: 犬のダックスフントなどに見られる短足は、線維芽細胞増殖因子4の遺伝子が足が伸びる時期に過剰に発現するため、骨化して骨の成長が止まることが原因であることが明らかにされている。

② 学習能力と遺伝子の関係: シナプス形成に関わる遺伝子を破壊したマウスの空間学習能力を測定するためにモリス水迷路試験を行うと、学習能力の低下が観察された。他方、豊かな多様性ある環境にマウスを置くと学習能力が改善するという報告もある。つまり、遺伝子と環境の両方が記憶の形成、学習能力に関与していることを示している。

③ 嗜好における遺伝子の関与: 嗜好の例として、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)という酵素の遺伝子型がお酒の強さを規定していること、フェニルチオカルバミド(PTC)という苦味物質を苦いと感じるかどうかはその受容体の遺伝子多型によって決まることが報告されている。また、情動を制御する神経回路に関与する遺伝子の研究は、例えばオープンフィールドテスト高架十字テストを用いた不安の解析、尾懸垂テスト強制水泳テストショ糖嗜好テストを用いたうつ様行動の解析なども進められている。しかし、思考についての検討は進んでいないようである。

これらの問題は昔から議論されていたが、近代ではフランシス・ゴルトン(1822-1911)が広めた "Nature or Nurture"(遺伝か環境か;氏か育ちか)という問いに帰着する。そのために有効になるのが、遺伝子には相違がない一卵性双生児についての解析である。例えば心理学的に、個性は神経質性・外交性・開放性・誠実性・調和性に分けられるが、それぞれの約半分は遺伝子以外によって決められているという結果がある。後天性の要因としてエピゲノム(DNAのメチル化やヒストンのメチル化、アセチル化など)が挙げられ、遺伝子の発現のタイミングや強さをコントロールしている。心理学的個性に関わる遺伝子の検索は進められているが、真の個性解明には至っていない。今後シングルセルRNA発現解析ゲノムワイド関連解析(GWAS)というような新しい技術を使った個性研究が現れることが期待される。


(3)市川 洋: 「人間の基本的な在り方」と「科学の在り方」(発表スライド

タイトルにある通り、お話は2部に分かれていた。前半は、久松真一(1889-1980)氏が始めた心茶会HP)についての紹介から始まった。学生時代に心茶会に属し、毎週、正座の後に久松作『茶道箴』(スライド参照)の唱和をしたが、特に厳しく響くのは「好事驕奢に趨り 流儀技芸に偏固して 邪路に堕する事勿く」というあたりではないかとのこと。その解説書として『茶道の哲学』がある。

久松氏は学道道場の基本精神として「人類の誓い」(1951)を掲げていた。

「私たちは よくおちついて 本当の自己にめざめ あわれみ深い心をもった 人間となり 各自の使命に従って そのもちまえを生かし 個人や社会の悩みと そのみなもとを探り 歴史の進むべき ただしい方向を見きわめ 人種国家貧富の別なく みな同胞として手をとりあい 誓って人類解放の悲願をなし遂げ 真実にして幸福なる 世界を建設しましょう」

1958年にはこの誓いを「FAS」という標語に凝縮した。

 形なき自己にめざめる(To awaken to Formless Self)

 全人類の立場に立つ(To stand on the standpoint of All mankind)

 歴史を越えて歴史を創る (To create Superhistorical history)

この言葉を、何ごとにも囚われないオープンマインドな姿勢、多様な価値を理解し受容する想像力を持ち、様々な世界的課題の根本的解決を目指すという言葉として捉えているという。それが「人間の基本的な在り方」ではないかというお考えになるのだろうか。

後半は、ご自身の海洋学研究から考えるようになった「科学の在り方」についての発表であった。科学を「人類が直面する生老病死、時空や物質の壁を越えたい、あるいは経験について整合的な全体像を形成したいというような根源的な欲求に応じて、普遍的な知を深めるために行う試行錯誤の過程」であると捉えている。そこで得られる合意は実証に基づくが、それは新たな発見により見直される。

科学を次の3種に分類していた。科学者が独自に推し進める自律科学(Science for Scientists)、政治(生産)に貢献するための統治科学(Science for Policy Makers)、公衆の行動規範を変えるような成果を出す公衆科学(Science for Public)で、倫理性、社会性が失われると大きな問題を生み出す。また、近代科学の中には、科学信仰、科学万能主義、権威・権力としての科学が見られ、20世紀の科学を見ても負の遺産が少なくない。1999年、ブダペスト世界科学会議が開かれ、科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」が出されたが、思うように進んでいるとは言い難いようだ。

現代の科学者の葛藤として、研究者としての知に対する欲求と生き残るための欲求とのバランスを取ることがあるが、時に倫理性、社会性が蔑ろにされるケースがあり、大きな問題になる。それに対して科学者に求められることは、前半で取り上げた人間の在り方としたFAS精神ではないか、というのが結論であった。

最後に、現代社会の課題として「金だけ、今だけ、自分だけ」の風潮の蔓延が指摘された。その対抗策として、「金だけ」に対しては形なき自己に目覚め、地位、名誉、健康、命、他への執着・拘りを捨てること、「今だけ」に対しては歴史を越えて歴史を創ること、「自分だけ」に対しては全人類の立場に立つことが挙げられていた。わたしの経験では、これらは哲学における蓄積に触れることで気付きが得られるのでないかと思う。その意味では、科学者だけではなく、市井の人々にとっても哲学が重要になることを再認識する必要があるというところに落ち着きそうである。



(2023.3.6)


参加者からのコメント


● 先日はありがとうございました。フォーラムだけでなく懇親会でのお話も含め、科学の本質、研究をする意義などに関して改めて考えさせられました。また時間が合えば、ぜひ参加させていただければと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。


● 先日の会は大変勉強になりました。科学と哲学が分離していく過程や後天的な獲得形質と遺伝子との係わり等、興味深く聴かせて貰いました。最後の方は我が国アカデミアの問題点に向けられましたが、大学人以外の参加者には申し訳なかったかと感じています。


● 先日は8-FPSSに参加させていただき有難うございました。原初からの哲学と科学の思考をたどると、いま科学技術によってつくられた環境に過度に依存して、そこに合わせた思考になっている自分を感じます。人間が作る社会とは何かを科学の形而上学化というテーマをもとに皆様と考え続けていきたいと思います。昨日、ご著書の「免疫から哲学としての科学へ」が手元に配達されて来ました。これからゆっくりと拝読させていただきたいと楽しみにしています。









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