4-FPSS




第4回サイファイ・フォーラムFPSSを以下の要領で開催いたしました

第3回サイファイ・フォーラムFPSS研究討論会


2018年11月17日(土)13:40-16:30

日仏会館5階 509会議室


参加費

一般 1,000円、学生 無料
(飲み物は各自ご持参ください)


プログラム

(1)13:40-13:45 矢倉英隆: イントロダクション 

(2)13:45-14:10 伊藤明子: 目的論の有用性と実在性について
    14:10-14:55 ディスカッション

(3)14:55-15:05 <休憩>  

(4)15:05-15:30 岩倉洋一郎: 発生工学技術の進歩と人間存在について
    15:3016:15 ディスカッション

(5)16:15-16:30 総合討論  
  
(6)16:45-  <懇親会> 


要 旨

(1)伊藤明子: 目的論の有用性と実在性について
アリストテレスが唱える事物の生成変化の四原因の一つである「目的因」は、近代科学の幕開けとともに否定され、ダーウィンの登場に至っては、科学からはもとより、哲学からも完全に駆逐されたと一般には捉えられています。しかしその間、カントは有機体の考察にあたってアリストテレスに遡る「目的論」という概念を敢えて採用し、「目的因」を復活させました。本発表では科学哲学の論文や分子生物学者の試論を参照しながら、目的論の今日における「有用性」と「実在性」について検討していきます。これは、発表者が現在取り組んでいるカントの『判断力批判』について考察した「有機体論の新たな解釈の可能性について」の研究の一部です。特に科学研究者からの忌憚のないご意見を頂戴できれば幸いです。
参考資料: 発表PPT

(2)岩倉洋一郎: 発生工学技術の進歩と人間存在について
近年の発生工学技術の進歩は目覚ましく、胚や体細胞から多分化能を持つ全能性の幹細胞を作り出し、これを子宮に戻してコピーを作り出す手段を獲得した。また、これらの全能性幹細胞、あるいは胚の遺伝子を操作することにより、これらの遺伝形質を改変した個体を作出する技術も手に入れた。したがって、今や我々は従来我々の固有の遺伝形質と考えてきた種々の表現型、つまり、容貌や身体能力、知的能力、病気に対する感受性などを自由に改変できる可能性を持つことになった。このことは、我々にそのような技術の利用をどこまで許すのかという倫理的な問いと同時に、人とは何か、生物とは何かという根源的な問いかけを投げかけることになった。発生工学技術の紹介をしながら、みなさんと一緒にこうした問題について考えてみたい。
参考資料: 発表PPT




会のまとめ

第4回サイファイ・フォーラムFPSS、無事終わる(2018年11月17日)


今回は初回の演題募集では応募者がなく、再募集で応募された2名の方に発表をお願いした。これまでの会の状況を見た結果、今の時間枠では2名が順当な数ではないかと考えていたのでそれを確かめる機会になった。今回はまた、都合の合わない方が多かったが、最終的には7名の参加を得て充実した議論が展開された。お忙しい中参加された皆様に改めて感謝したい。以下に、主宰者の視点から見たまとめを書いておきたい。

(1)伊藤明子: 目的論の有用性と実在性について

この研究はカントの有機体論に触発されたもので、より大きな研究の一部を構成している。切っ掛けになったのは、有機体論が社会や共同体、人間存在の意義やありようをうまく説明できるのではないかという想定の下に、そこで議論されている目的論に絞って解析したようである。以下にその要約を。

まず、アリストテレス(384 BC-322 BC)の4原因説の説明があった。すなわち、質料因(材料となるもの)、形相因(作られるもののモデル、デザイン)、作用因(それを実際に作るもの)、そしてそれは何のためなのかという目的因の4つである。この考えは二千年近くの間権威を持ち続けたが、17世紀初めにフランシス・ベーコン(1561-1626)は結論(目的)が人的に最初に決められたものになっているとしてアリストテレスを批判した。帰納を推奨し、演繹を批判したことと重なるように見える。さらに、18世紀にイマヌエル・カント(1724-1804)は『判断力批判』の中で目的論的判断について分析し、19世紀にダーウィン(1809-1882)の出現を見て、目的論は近代科学から排除されたと判断されていた。

ここで、20世紀の哲学者が目的論をどのように考えていたのかが紹介された。物理学などに比較すると、生物学的事象はなぜそうなっているのかという疑問を誘発しやすい傾向がある。それは恰も目的論的思考が人間に埋め込まれているかのようである。哲学的思索をした生物学者のエルンスト・マイヤー(1904-2005)は、目的論は非科学的とされているが、何かを発見する時のツールとして有用であるという評価をしている。また、目的論的言説を排除して機械論的言説にすることによりすっきりするように見えるが、その内容は貧弱になるとも考えていた。科学哲学者のマイケル・ルース(1940- )も目的論に与するからと言って必ずしも神や生気論にコミットするわけではなく、逆にデザインのメタファーを使うことにより知的価値の高い思考のための道具を手に入れることになるとして目的論の有用性を擁護している。

それから、アンドレ・アリューという人が目的論をプラトン的とアリストテレス的に分けている。プラトン的とは、機械論者であれば天体の動きを記述するだけなのに対して、そこに見られる美や背後にある意志のようなものまでも説明しようとする。一方のアリストテレス的とは、超越的な存在を思わせるプラトン的なものとは異なり、生物であれば内的な統一原理の説明の根拠を置こうとする。この分類に当て嵌めれば、カントの目的論はアリストテレス的であるという。

テレオロジー(目的論)に関連して、テレオノミーという概念についても紹介された。これは1958年にコリン・ピッテンドリによって提唱されたものだが、マイヤーによると、プログラムによって誘発されることと目指す到達点に至るようにそのプログラムが調整されるようになっているという二つの特徴があるとされる。テレオノミックな過程は生物に見られるものだが、無生物に見られる目的を持つような現象に対してはテレオマティックという言葉を充てている。さらにマイヤーは、プログラムを二つに分けて考えている。一つはすべてがDNAで決定されているという「閉じたプログラム」で、もう一つは後天的な影響が関与する「開いたプログラム」である。アリストテレスの形相(エイドス)を遺伝子プログラムと考えることもできるとマイヤーは言っているが、マックス・デルブリュック(1906-1981)もアリストテレスは現代であればDNAに存在すると思われる内的原理を発見したという評価をしているという。


(2)岩倉洋一郎: 発生工学技術の進歩と人間存在について

発表前半では、遺伝子改変マウスの作成法に関する技術的な説明と発生工学技術の発展史について概説された。この部分は、参考資料にあるPPTを参照されたい。興味深かったのは、遺伝子改変マウスが想定外の結果を齎すということだった。例えば、成長ホルモンのトランスジェニック・マウスを作ったところ、予想通りマウスの体重は増加したが、豚のトランスジェニックの場合には体重増加は顕著ではなく、糖尿病になり若死にしたという。インターフェロンβのトランスジェニックは、予想通り脳心筋炎ウイルスに抵抗性を示したが、精子ができなかった。また、ヒトT細胞白血病ウイルス‐Iのトランスジェニックでは、確かに白血病はできたが、それに加えて自己免疫性関節炎も現れ、そこにIL-6が関与していることが明らかになり、現在ではこの抗体で治療も可能になっている。

これらの研究を重ねる中で、いくつかの疑問が湧いてきたという。これまでの研究は、好奇心に基づく現象の発見から始まる基礎研究から予測や制御に至る応用研究というモデルで動いていて、比較的隔離された状況に置かれていた。しかし、現代においては科学技術が齎すいろいろな問題が露わになっており、研究者がその問題に直面せざるを得なくなっている。生殖系列の遺伝子改変に限って言っても、技術の不安定性や不確実性、さらに発がん性や想定外の副作用が考えられる。ただ、岩倉氏はこの問題は時間が解決してくれると見ていた。解決されないと思われるのは、遺伝子操作をすることの是非というような倫理上の問題だろう。具体的には、遺伝子病の治療、健康人の知的能力・身体能力の増強、容貌の改変などの例がある。

これらの問題を考える際に重要になるのが、人間とは何なのか、生命とは何か、人間が存在する意義はどこにあるかなどの根源的な問いについての考え方が広く共有されることが不可欠になるだろう。しかし、それをどのように達成するのか。また、原子力は兵器に結び付き、人工知能の発達は失業を生み出し、遺伝子操作は弱者の淘汰に繋がる危険性が存在しているが、これらの問題は制御できるのだろうか。このような疑問が投げかけられた。



参加者からのコメント

● 今回発表の機会を与えていただき、矢倉先生をはじめ参加者の皆様に感謝いたします。目的論に対する科学者からの反発は予想しておりましたが、意外だったのが、第一線で活躍される科学者のなかにも目的論にシンパシーを感じている方がいらっしゃるということでした。そのほか、各々専門分野をお持ちで社会経験も豊富な皆様からのご指摘も、ここのところ締切に焦りを感じて狭い穴に陥っている自分を、多くの点で気づかせてくださいました。発表時やその後の懇親会において多々生意気な発言もあったかと思いますが、この場を借りてお詫び申し上げます。





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(2018年11月19日)







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